ユーザー
2020.08.24
No.20-013 / 2020年8月24日
伝統を重んじ不易流行の精神で挑戦を続ける新政酒造
― 1本のボトルに込める飽くなき日本酒への情熱 ―
伝統的な酒づくり製法「生酛造り」や地産地消の「秋田県産米」、現存する最古の酵母であり、 自蔵発祥の「6号酵母」など原料や伝統製法にこだわる一方で、時代の最先端をゆく斬新で革命的な味やデザインを世に送り続ける 新政酒造株式会社(所在地:秋田県秋田市大町6-2-35、以下:新政)。「伝統」と「革新」、この取り組みが生み出す新たな価値とは。 また、1本のボトルに詰まった多くの人の夢や想いとは。伝統を守りながら不易流行の精神で挑戦を続ける新政8代目蔵元・佐藤祐輔氏の"想い"に迫る。
【日本酒の概念を覆す気品溢れる風味】
「No.6」「エクリュ」―。特別な日の1本に選びたい新政の逸品。 一般的に日本酒造りで頻繁に用いられるような添加物を未使用にもかかわらず口の中で香るすっきりとした酸とほのかに感じる米の甘味はもはや伝説である。 思わず手に取りたくなるような洗礼されたパッケージに心を奪われ、胸弾ませながら口に運ぶと、これが笑みが溢れ出るほどに美味しい。新規古参も虜にして離さない。 「僕は酒蔵の視点はほとんど持ち合わせてないんじゃないかな。どちらかというとジャーナリズムと日本酒ファンの視点から日本酒を造っています。 だからお客様が"日本酒はこうであるべき"と思うようなものを完全に具現化すべく、 理想的な日本酒の実現に向けて少しずつだけど動き始めています」そう語るのは、日本酒界の鬼才・佐藤祐輔氏(45歳)である。
【佐藤祐輔と日本酒の出会い】
佐藤氏は、1852年(嘉永5年)から続く酒蔵の長男として誕生した。 実家が酒蔵から少し離れた場所に位置していたこともあり、蔵に足を踏み入れることなく故郷を離れ、東京大学卒業後もジャーナリストとして日本酒とは無縁の生活を送っていた。 そんなある日、1本の日本酒と運命的な出会いを果たす。「ジャーナリスト時代に先輩の勧めで磯自慢(磯自慢酒造株式会社)を飲む機会があってね。 それまで抱いていた臭くて酔うお酒という日本酒の概念が180度覆るほど、その美味しさに感動しました」。 すっかり日本酒に魅了され、コレクターとなった佐藤氏は、日本酒が醸す深みとうま味をライターとして世間に訴求すべく、酒造りについて徹底的に学んだ。 すると、日本酒は想像以上にアートであり、後世に継承しなければならない伝統産業であることを知る。 しかし、消費量の減少に伴い全国の蔵が次々と潰れていく現実を目の当たりにした佐藤氏は、1500年受け継がれてきた伝統産業の行く末に心が揺れ動く。 今まで一度も蔵に足を踏み入れたことのなかった男は、次第に書き手ではなく造り手として日本酒と向き合うことを決意する。
【風雲児の改革】
佐藤氏が蔵に戻ることを決断し、広島県の独立行政法人酒類総合研究所で酒造りのノウハウや最先端技術の研究に励んでいたころ、新政は経営不振に陥っていた。 経営状況を知り、蔵を立て直すべく、予定よりも早く研究を切り上げ蔵に戻った佐藤氏は、今までの体制にメスを入れ、職人を一新。 全国から信頼できる仲間を集め、自らが指揮を執り、広島で習得した知識を軸にさまざまな角度から新しい日本酒を生み出した。 すると、酒づくり1年目にもかかわらず、あらゆるコンテストで金賞や最高賞を受賞。 彗星のごとく現れた風雲児は日本酒界に衝撃を与え、瞬く間に時の人となった。 「たしかに新人ではあるけど、酒類総合研究所で最先端の酵母や麹、麹菌についての情報を得ていたので、賞が獲れるのは当たり前なんですよね。 もちろん結果は嬉しかったし自信になったけど、同時にバカらしく思えてきて。 だって、賞を獲るために高評価の原料米や最先端の酵母、そして最新の機械を使ったところで、他の蔵と味が似てくるし、蔵として大して伸びない。 それに、コンテストで賞を獲ることと蔵の経営が成功して大ブランドになることはイコールとは限らない。 だったら自分はもう少し個性的かつ他の蔵とは違う手法で良いお酒を造りたいと思いました」。 名声を得ることにはまるで興味を示さず、自身が求める酒造りで経営改善を図った佐藤氏は、早々にコンテストのための酒造りに見切りをつけ、 それまでの"量を売って利益を得る普通酒"中心の生産路線から"価格以外に付加価値を見出しやすい純米酒"へと舵を切った。
【味より伝統を重んじる信念】
「極論、日本酒の味とパッケージはどうでもいいと思っているんですよ」。まさに青天の霹靂のような言葉が降ってきた。 「日本酒は趣向品であり流行りものです。それこそ江戸時代のものと比べると全然味も違うし、今も30~40年周期でトレンドは変わっている。 だから味とパッケージは時代に合わせて訴求すればいいと考えています」。あくまでも味やパッケージは表面的なもので、 伝統製法や地元の素材を使っていること、そして農業に取り組んでいることが日本酒の本質的なことであると捉える佐藤氏は、 日本酒の味やパッケージを「花」、伝統製法や地域性を「種」と表現する。「花は咲いては無くなり、また咲く。だから形状が毎年変わってもいい。 一方でDNAに値する種がないと花は咲かない。だから種は継続させていく必要性があります」。 しかし、佐藤氏が蔵に戻る以前は、伝統技法や地域性、歴史といったファンのニーズを満たそうとする蔵は少なかった。 当時の日本酒界は味を追求するあまり、他県で育った評価の高い酒米と酵母を使って日本酒を造る蔵で溢れ返っていた。 「自分も日本酒のファンだからわかるけど、ファンの人って日本酒を造る過程も見ているんですよね。 どれだけ美味しいお酒でも伝統性が失われた瞬間にその日本酒は価値が無くなる。 だから僕は蔵に戻ると決断したときから、味のために何かを犠牲にすることは極力無くすと決めていました」。 佐藤氏は理想的な酒造りの実現に向けて「生酛造り」や「木桶仕込み」、「蓋麹」などの伝統的製法への回帰を追い求めた。
【伝統的製法への回帰】
蔵に棲みついている乳酸菌などを利用して日本酒の土台となる液体の酒母をつくる「生酛造り」。 杉板を組み合わせ、竹の箍(たが)で締めた木桶で日本酒を仕込む「木桶仕込み」。 そして、麹蓋という木製の盆を用いて麹をつくる「蓋麹法」。 それぞれ江戸時代から伝わる伝統的な醸造製法だが、徹底した温度管理や熟練した職人技を要するため、酒造りも機械化が進む。そんななか、あえて手作業へと移行した理由とは。 「機械でできることと人の手でできることはまず2つに大別されています。酒造りでいうと冷蔵庫や絞り機、そして精米機。 例えば冷蔵庫のように環境を冷やすことは人間の手では難しいですよね。一方で、人間でもできることを機械に任せているケースもあります。 この場合、たいがい省略化や合理化といった側面が強いです。一定のクオリティーが維持できるため効率的ですが、機械はマニュアル通りにしか使えないから、機械以上のものは生まれない。 我々は常にいろいろなことに挑戦する蔵なのでマニュアルに縛られることが非常に苦痛でした。だから機械化から自由度が高い手作業へと徐々に移行しました」。 伝統的製法への回帰を求めた新政は、2012年から記載義務のない添加物(醸造用酸類、ミネラル、酵素など)の一切の使用をやめ、すべて「純米造り(原料は米、米麹、水のみ)」へと転換。 さらに酒米は全量「秋田県産米」を使用し、酵母は昭和初期に5代目蔵元・佐藤卯兵衛が自蔵で発見した現存する最古の市販清酒酵母「6号酵母」にこだわった。 「不利な素材と言われる生酛や6号酵母、秋田県産米ですが、実際は不利でも何でもないんですよね。たしかに手間や労力はかかるけどロマンがある。 むしろより良いものができています」。こうして素材にも注力してきた佐藤氏が次に目を付けたのが原料である酒米の無農薬化であった。
【酒米の郷、鵜養地区】
秋田市内から車を走らせること約30分。そこには青々とした稲があたり一面に波打つ。 大小異なる2つの清流に囲まれた中山間地・鵜養地区に「酒こまち」「美郷錦」そして宮沢賢治が愛した「陸羽132号(通称:愛亀)」の水田が広がる。「生酛造りなど全ての添加物を除いて日本酒造りに取り組んでいた我々は、原料であるお米からも農薬を取り除き『フルオーガニック』にしたいと考えていました。 残念ながら県内で無農薬米を栽培している農家がいなかったため、それなら自分たちでつくろうと2015年にここ鵜養地区に自社田を購入しました」。 無農薬栽培をするならと勧められた鵜養地区だが耕作放棄地化が進み、佐藤氏が初めて訪れたころは15町歩程しか圃場に水が張られていなかった。 また寒くて湿気がこもりやすく風通しが悪いため、米づくりに適した地形とは言えなかった。 それでも湧水が飲めるほど綺麗な水と風光明媚な風景が決め手となり、鵜養地区で無農薬栽培をはじめた。
新政は日本酒のプロフェッショナル集団であるが、こと米づくりにおいては新米である。そのため地域の人々の協力が必要不可欠であった。 しかし不利な地形での無農薬栽培を無謀な挑戦だと捉える人も多く、まずは自分たちで無農薬栽培を始動した。 「はじめは半信半疑だった地域の方々も、我々が無農薬と向き合う姿をみて、だんだん前向きになってくださってね。 新政が全圃場の除草作業にも協力し、正当な価格で酒米を買い上げるなど生活のサポートを行い信頼関係を築くなかで、無農薬米を育てることに賛同してくれる人が増えていきました」(佐藤氏)。 約5年という歳月をかけて全量無農薬米となった酒米の郷。現在この広大な土地は役員で元杜氏の古関弘氏ら2名が常駐し、無肥料で管理している。しかし相手は生き物。毎年同じように育ってはくれない。 「鵜養地区のように湿気がたまりやすい土地では栄養過多だといもちなどカビ系の病気にかかりやすいため、肥料を与えずギリギリのところで生存させ、強い稲体を育てる必要があります。 そのため土壌の微生物が肥料の役割を果たさなければならず、現在も試行錯誤を繰り返しています」。 耕作放棄地が広がっていた鵜養地区では、古関氏や地域の皆さんの努力により、現在約30町歩まで酒米の水田が拡大した(自社田は約15町歩)。 今後さらに新政の酒米を風になびかせる予定だ。
【秋田のお米にあった精米方法】
秋田県産米は酒造好適米の代表である山田錦と比べてタンパク質の含有量が多くナーバスな一面がある。 そのため佐藤氏は、米の中心部分(心白)を残すように外側のタンパク質、脂質など酒の雑味や異臭のもととなる不要成分を砥石で削る一般的な精米方法「球形精米」ではなく、 米の形を残して精米を行う「扁平精米」に早くから取り組んでいた。扁平精米は心白を残しながら不要成分を十分に除去し、かつ有用なデンプンを無駄なく残すことが可能なため、 まさに秋田県産米に適した精米方法であった。また佐藤氏は、日本酒の価格設定について精米歩合で価格が決まるような間違った認識が一般的に根付いているという。 「例えば吟醸酒。これは精米歩合60%以下という基準がありますが、基準値に達さずとも吟醸酒を上回る美味しい日本酒は存在します。 それなのに、どれだけお米の栽培を頑張っても素材ではなく精米歩合だけで判断され、価格だけ高くなって誤解されるのは嫌だから、少なくとも磨き方だけは無駄が無いようにと早い段階から扁平精米を取り入れていました」。 しかし、理想的な扁平精米の実現までの道のりは長く、出口の見えない航海であった。精米機のロールの回転速度を落とすなど幾度となく思考を凝らしたが、求める基準の精米は叶わず、判然としない思いで扁平精米に取り組んでいた。 そんな折、3台所有している精米機のうち1台が更新時期を迎え、偶然にも酒造仲間からサタケ(本社:広島県東広島市西条西本町2-30、代表取締役:佐竹利子)が扁平精米用の新型醸造精米機を開発しているという一報が舞い込んできた。
【"磨かない米"で大吟醸のような味わいを再現】
2018年秋、サタケは米を磨かず大吟醸のようなすっきりした味わいを可能にした新型醸造精米機を開発した。 従来、扁平精米は米に圧力をかけるため砕米しやすく、長時間の精米が必要とされていた。しかし、サタケの新型醸造精米機は、 扁平精米に対応した切れ味の鋭い新型砥石「立法晶窒化ホウ素(cBN)」を採用。開発した圧力制御装置と組み合わせることで、 従来機に比べて扁平精米の加工時間の短縮が実現し、精米効率が大きく向上した。また、精米歩合が基準値に達さずとも、吟醸酒や大吟醸酒と同等の酒が造れ、 さらに無駄のない精米や原料・原料費を抑えることも可能にした。理想の精米を追い求めていた佐藤氏と同機の狙いが一致した新型精米機は、 2019年の酒造りより新政の一員として稼働した。
杜氏の植松誠人氏(31歳)は、新型精米機について「今まで使っていたお米が全く違うお米になりました。 それくらい変化がありました」と語る。「タンパク質の含有量が多い秋田県のお米ですが、サタケの精米機で扁平精米を行えば、お米のタンパク質が少なくなるのではと期待していたところ 、期待以上の結果がでました。反対にお米が削れ過ぎてタンパク質が減ったことでお酒のアミノ酸も減少し、線の細いお酒になってしまったぐらい完璧に削れました」(植松氏)。 また、新政では、扁平精米の前に一次精米を採用している。「新政は雑味のないある程度綺麗なお酒を造りたいという想いがあります。そのためにはお米の胚芽部分を残さず精米する必要があります。 胚芽は栄養素の塊のためお酒の雑味になり、酵母も元気になります。そうすると醪に行ったあとに酵母たちの抑えが効かなくなり、短期間でお酒が仕上がってしまうので、どうしても味が乗らない状態に陥ってしまいます。 それらを防ぐためにも胚芽をきちんと取った方が良いということから、サタケの精米機『ミルモア』で一次精米を行い、胚芽部分を取り除いたのち扁平精米にかけて精米歩合65%まで削り落としています。無肥料で無農薬米を栽培している新政のお米は、どうしても収量が少なくなってしまうのですが、古関や地域の方々が苦労して育てたお米だから1粒たりとも無駄なく品質の良い状態で効率的に削り、美味しいお酒を造りたい。そのためにも一次精米と扁平精米は欠かせない存在です」(植松氏)。今年発売された新政の定番ラインアップ「No.6」や「カラーズ」シリーズなど、精米歩合65%と55%の全商品に扁平精米された酒米が使われている。なかでも低価格帯のカラーズシリーズ「エクリュ」は自信作だと胸を張る。
【日本酒業界の課題】
日本が世界に誇るべき伝統産業の日本酒。しかし、1975年を境に日本酒の消費量は減少の一途を辿っている。佐藤氏はその要因の1つとして、高度成長期に大量生産した日本酒の"まずくて頭が痛くなる"というイメージを払しょくしきれていないことを挙げる。「一昔前に比べると少しずつイメージは変わってきましたが、今まで業界全体でイメージアップの取り組みにあまり着手してこなかった。その結果、時代の流れに置いて行かれたように感じます。例えばワインは飲んだことのない中学生でも高級で美味しいものだと憧れる人が多いですよね。日本酒もワインのように飲んでみたいと思わせるよう仕掛けていきたいです」。その仕掛けの1つとして、佐藤氏はボトル1本1本のデザインやラベルにもこだわる。味やパッケージよりも伝統が大切と前述したが決して手を抜いているわけではない。「もともと新政のお酒は6号酵母と秋田県産のお米しか用いていないため、造りだけ見ると古臭くて地味。だからパッケージぐらい派手にしたいという思いがありました。パッケージがしっかりしている商品は中身の保証にもなりますしね。今年からは瓶も自分たちでデザインしています」。
このほかにも、来年10周年を迎える「No.6シリーズ」を記念して、新政ではさまざまなイベントを企画している。まずは、いろいろなアーティストとのコラボレーション企画。これは、アーティストに特注ラベルを制作してもらい、1年間かけてリリースしていく。また、期間限定でポップアップストアの出店も考えているという。「新政は限定生産でもともと生産量が少ない上、お酒の温度管理が難しく、特約店(酒屋)でしか取り扱いを行っておらず、どうしても閉鎖的な流通になっていました。もっと新政の商品、日本酒を多くの方に楽しんでもらうべきなのに実現できていないことは、僕らの1つのジレンマでした。この企画を通して普段なかなか手に取ってもらえない方にも楽しんでいただけると嬉しいです」。業界を盛り上げるべくさまざまな企画を発信する佐藤氏だが、日本酒の文化的価値を向上させ、日本酒を人々の身近な存在にしたいと考えている人は彼だけではない。佐藤氏を含む秋田県の蔵元で結成された「NEXT5」は、共同醸造酒の製作や日本酒と他ジャンルアーティストのコラボレーションを行うなど、日本酒界に旋風を巻き起こしてきた。また新政のような地酒の蔵が全国から結集し、日本酒界を盛り上げようという動きも広まっているという。1500年続く日本酒の歴史に新たな1ページが刻まれる予感がする。
【1本のボトルに込められた想い】
伝統的な醸造製法や自蔵発祥の最古の酵母、そして自社田での無農薬栽培など、どれも話題性に優れ、見る人を魅了し続ける新政。自身の取り組んでいる題材に満足し、酔いしれる人も少なくないなか、佐藤氏は常に攻めの姿勢で挑戦の手綱を緩めない。そんな佐藤氏が次に着手しようとしていること。それは木桶工房の新設である。2013年に木桶での仕込みを一部開始し、全量木桶仕込みを目指して毎年少しずつ木桶を導入してきたが、日本で唯一大桶を製造していた大阪の会社が2020年で製造を中止することが決まった。秋田県内にも麹蓋や小さな樽を作る職人はいるが、木桶のような巨大な桶を作れる人はいなかった。そこで佐藤氏は、無農薬米同様、自社で木桶づくりを継承することを決断する。「木桶を採用したら全量木桶仕込みにしたいと思うのは当然のことで、木桶が手に入らないと分かったら木桶をつくることも僕にとっては自然の流れ。社員ではないけど、蓋麹用の麹室を設計してくれた設計士の相馬佳暁氏がこの取り組みに賛同してくれて、2年前から大阪で修業しています。近い将来、鵜養地区に木桶工房を建てて、秋田杉で木桶を製作する予定です」。これまで、規格外な取り組みも敷衍と深耕により進めてきた佐藤氏だが、彼にはさらに壮大でロマンに溢れた夢がある。それは、新政の酒米の郷・鵜養地区に酒蔵を造ることだ。「まだ先の話ですが、ゆくゆくは鵜養産の無農薬米のみを使う小さな酒蔵を鵜養地区に造りたいと考えています。機械は冷蔵庫と絞り機と精米機だけで、木桶も麹蓋も秋田杉のみ使用。どこまでも地元の秋田県産にこだわります。最終的には、原料米の栽培過程から木桶工房、酒蔵見学など、日本酒が誕生する過程を楽しんでいただき、カフェや宿泊施設で鵜養の美しい景観を眺めながら地元の食材やお酒を心行くまで堪能していただけるそんな空間を、ここ鵜養地区に造りたいと考えています」。固定概念に捕らわれず、革新し続ける新政は、日本酒のなかの一ブランドではなく、もはや日本を代表する新ジャンルを確立しつつある。
新政が世に送り出す1本のボトルには、誇りをもって新政の酒米を育てる地元農家の夢、命を削り魂を込めて酒米と向き合う古関氏の想い、よりよいものを生み出そうと必死に食らいつく蔵人の意気、現場の主柱として新政イズムを踏襲し後輩育成に注力する植松氏の願い、影武者となり新政を支える者やさまざまな角度から新政と世界を繋ぐ者たちの念い、そして不易流行の精神で理想の日本酒造りへと邁進する佐藤氏の生き方など、たくさんの人の夢や想いが詰まっている。今後も新政は、短期的なヒット作ではなく、長く人々の記憶に残る1本を造り続けるだろう。
以上
■新政酒造の概要
1.会社名:新政酒造株式会社
2.代表者:代表取締役社長 佐藤祐輔
3.所在地:秋田県秋田市大町6丁目2番35号
4.創 業:1852年
5.事業内容:日本酒の醸造および販売
(本リリースへのお問い合わせ: TEL 082-420-8501 広報部)
※ニュースリリースの内容は発表時のものであり、最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。