ヤシ博士トップ

南国情緒を感じさせる植物の代表といえばヤシ。
そんなヤシの魅力にとりつかれ、趣味が高じてヤシ研究の権威となったのが2代目社長・佐竹利彦です。
彼が発見した新種のヤシは「サタケンチャ・リュウキュウエンシス」という学名が付けられ、彼が残した研究成果は今もなお学術資料として活用されています。
また彼が収集したヤシコレクションの数々は、サタケ広島本社ビルに併設されたヤシ園に植栽されています。
※当サイトの情報は、佐竹利彦が研究していた当時のものであり、最新の情報とは異なる場合があります
佐竹利彦について

1910年、佐竹利市初代社長の長男として誕生した佐竹利彦は18歳のころから精米機の研究・開発に携わり、父・利市とともに画期的な製品を次々と世に送り出していきました。とともに精米理論を体系的に確立し、1988年には「近代精米技術に関する研究」で東京大学より農学博士号を授与されました。
一方ヤシとの出会いは1933年、彼が23歳の時に1本のビロウ(ヤシの一種)の苗を知人からもらった事がきっかけでした。その魅力にとりつかれた彼はヤシについて知りたいと思ったが、当時日本では事実上ヤシ科植物の研究はなされておらず、参考になる文献も研究者もほとんどないことに愕然としたのです。やむなく彼は自らヤシ研究を始めることにしました。
それ以来半世紀以上にわたり研究を重ね、52歳(1962年)の時にはヤシ科植物が11亜科29族253属3333種であるという新分類を発表し、世界で5本の指に入ると言われるヤシ研究の世界的権威者の一人となりました。

また戦後間もない頃、ヤシ科植物研究の最高権威者であった米国コーネル大学のムーア教授(1980年没)との親交が始まりました。その後に佐竹利彦は「リュウキュウヤエヤマヤシ」が石垣島と西表島にのみ自生する新種のヤシであることを発見しましたが、その際ムーア教授はその新種のヤシ学名に「佐竹」の名を取り「Satakentia Liukiuensis」命名しました。
これらの研究成果が高く評価され、1993年には東京農業大学より、また1995年には広島大学より名誉博士号を授与されました。永年にわたり世界各国から収集したヤシ・ソテツ78種230株及び約500種のヤシの種やサンプル、および文献は現在でも世界的に大変貴重な学術資料としてヤシ・ソテツ研究の発展に寄与しています。
プロフィール
- 1910年 初代社長・佐竹利市の長男として広島県に生まれる
- 1928年 佐竹機械製作所入社
- 1933年 ヤシに関する研究を開始する
- 1943年 株式会社佐竹製作所社長に就任
- 1950年 藍綬褒章を受章
- 1962年 ヤシ科植物の新分類を発表
- 1982年 勲三等瑞宝章叙勲
- 1988年 東京大学より農学博士号を授与(近代精米技術に関する研究に対し)
- 1993年 東京農業大学より名誉博士号を授与(ヤシの研究に対し)
- 1995年 広島大学より名誉博士号を授与(近代精米・ヤシの研究両方に対し)
- 1998年 正五位叙位及び菊紋銀杯授与
主な著書
- 『穀類搗精機の研究』第5編「穀類精白作用要論」(1940年、父・佐竹利市と共著、(財)糧友会発行)
- 『最新園芸大辞典』全7巻「ヤシとソテツ」の項(1968年、誠文堂新光社発行)
- 『ヒコビア』第3巻第2号「ヤシ科の分類系」(1970年)
- 『万有百科大事典』「ヤシ」の項(1972年、小学館発行)
- 『日本大百科全書』全24巻「ヤシ」の項(1984年、小学館発行)