サタケはいつも、あなたの側に 〜サタケの魅力〜Loading...

ALWAYS ON YOUR SIDE サタケはいつも、あなたの側に

02. SATAKEは世界の共通語

コーポレートビデオ「SATAKEは世界の共通語」

1896 年(明治 29 年)に創業者・佐竹利市の発明によって生み出された日本初の動力式精米機。
歩留まりが良く高品質なサタケ製の精米機はやがて世界各国に導入され、一部の国では 精米機のことを「SATAKE」と呼ぶ国もあるそうです。その後、米の分野だけでなく、 麦やとうもろこしなど世界3大穀物をターゲットに世界有数の食品加工総合メーカーと して発展を遂げたサタケの秘密に迫ります。

03. サタケが描く未来

明日を創る力。〜常に一歩先の技術を求めて〜

1896年(明治29年)、日本で最初の動力式精米機を開発したサタケ。それまで人力に頼ってきた「精米」という作業を、機械に置き換えたことで能率は飛躍的に向上し、農業・酒造業の興隆に大きく貢献しました。
「前人未踏の事業だからこそ、成し遂げねばならない」との創業者の魂は、一世紀以上にもおよぶサタケの歴史の中で脈々と受け継がれ、常に一歩先の技術で業界をリードしてきました。
食を通してもっと元気な人をつくるために、持続可能な農業を実現するために。サタケはこれからも、日々新たな価値の創造に挑戦してまいります。

サタケ精神

不可能はない
Think Nothing is Impossible
謙虚である
Be Intellectually Humble
気のつく人になる
Understand the Hearts and Minds Around You

当社の経営の基本思想は「サタケ精神」です。その根幹は「不可能はない」「謙虚である」「気のつく人になる」の3 点です。何事にもチャレンジする姿勢、謙虚に学び続ける姿勢、常に問題意識を持ち、改善・改革をしていく姿勢を何よりも大切に考えています。

食を通して
もっと元気な人を創る。

美味しく栄養成分に優れた米の提供

米の胚芽やヌカには、健康を保つ上で有効な成分
が多く含まれています。例えばギャバ(γ ガンマ-アミノ酪酸)には、脳内の血流を活発にし、脳細胞の代謝を高める働きがあるといわれています。このような栄養成分を白米に吸収させることで、美味しさと栄養とを兼ね備えた食材を生み出すことができます。

簡単・便利なごはん製品の提供

パンや麺類などに比べ調理に手間がかかると敬遠されがちな米飯。調理の簡素化を進める、いわゆるファストフード化により、米飯の魅力は再認識されるとサタケは考えます。例えば高機能性米をパックご飯に加工すれば、栄養の豊富さと簡便さを両立した食品を提供することができます。

持続可能な農業を
実現する

未利用資源の有効活用による「循環型農業」の実現

畜産による副産物や農作物・食品の残さを堆肥化することで、鉱物資源の消費を抑えるとともに、畜産公害の防止にもなります。また間伐材や稲わらなどの廃棄物を、バイオマスガス化によりエネルギー源として利用することで、化石燃料の消費を減らすことができ、CO2削減にもつながります。

経営の多角化で収益向上を目指す「六次産業化」を支援

農業生産だけでなく、食品加工やレストラン経営など多角的に展開(一次×二次×三次=六次産業化)することで、農業者はより収益性を高めることができます。
サタケが持つ、栽培から収穫後の調製・加工、精米、炊飯、米粉加工にいたるまでのノウハウを活かして六次産業化の取り組みを支援します。

04. 四代に渡る飽くなき探求

四代に渡る、飽くなき探求〜食を通して元気な人を創る〜

120年におよぶサタケの歴史。この歴史を創り上げてきたのは言うまでもなく、創業者をはじめとする歴代の経営者、志を同じくする従業員、そしてお客様や会社をとりまくすべての人々です。中でも、常に会社が進むべき道を指し示し率いてきた、歴代経営者の功績なくして今日のサタケはあり得ません。四代にわたって貫かれてきた「食を通して元気な人を創る」という確固たる精神を軸として、歴代経営者の功績を振り返ります。

  • 佐竹利市

    初代・佐竹利市

  • 佐竹利彦

    二代目・佐竹利彦

  • 佐竹覚

    三代目・佐竹覚

  • 佐竹利子

    四代目・佐竹利子

佐竹利市

初代・佐竹利市

「精米機の開発という大任を負うためには、
怠惰心を退け、健康を維持せねばならない」

日本初の動力式精米機を開発し、サタケを創業

4連唐臼搗精機
4連唐臼搗精機

1896年に初代・佐竹利市が発明した日本初の動力式精米機。この偉業ともいうべき発明に彼を突き動かしたもの、それは利発だった彼の知的探求心の高さもさることながら、何より心に抱いていた「生涯、世のためになるもの、人々が喜んでくれるものを生み出し続ける」という誓いであったと推察されます。一度販売した機械であっても改良すると無償で交換してしまうという、損得を度外視した行動も、このような考えに基づくものだったのでしょう。

大志を抱き、それを実践し続けるためには利市は「怠惰心を懲らしめ、克己心を刺激発達」させること、そして「健康を維持すること」を自らに課しました。そして精米機の研究・開発はもとより、さまざまな独自の健康法をも探求し、実践していくようになるのです。

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佐竹利市

初代・佐竹利市

「精米機の開発という大任を負うためには、
怠惰心を退け、健康を維持せねばならない」

玄米食を基本に、徹底した健康生活を実践

自己無病長寿体験
自らの健康法についてまとめた
「自己無病長寿体験」

利市が考案した健康法にはさまざまなものがありますが、基本となるのが「玄米食」です。玄米は炭水化物、タンパク質、脂肪、ビタミンなどの栄養成分をバランスよく含む「完全食」だということを熟知していたのです。ただ、玄米は粒のままでは消化されにくいため、粉末にして水で練ったものを主食とし、生野菜や果物などの副食と組み合わせた食事を毎食摂っていました。それは、旅行の際にも携行して旅館の食事は摂らないというほど、徹底したものだったのです。

利市が食していた健康食(再現)
利市が食していた健康食(再現)

そのほかに、生水を1日3升(5.4リットル)飲むこと、入浴時は発汗したら休む、また入って発汗したら休むということを繰り返す入浴法、小食を習慣とすることなどを実践した利市は、95歳で没するまで健康を維持することができました。また、自らが実践するのみならず、周囲にもこの健康法を勧めるため、講演などの啓発活動も熱心に行っていました。これらのことからもわかる通り、食を通して人々を元気にすること、それは利市にとってまさに男子の本懐ともいうべき最重要事項となったのでした。

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佐竹利彦

二代目・佐竹利彦

「良いものは売れる。米の栄養が残り、人々
の健康に役立つ精米機なら、必要とされる」

初代の研究を支え、体系的精米理論を確立

論文「近代精米技術に関する研究」
論文「近代精米技術に関する研究」

二代目・佐竹利彦は、入学したばかりの高等工業学校を中退しサタケに入社、それ以来、利市の研究開発を支え、共同で画期的な胚芽米精米機を完成させました。青は藍よりいでて藍より青し。その後も利彦は、利市に勝るとも劣らぬ才能を発揮し、次々に新たな技術を開発し、製品を世に送り出していきました。

父子2人は、似ているようでまた異なる特質を持っていました。父・利市は感性を重んじ、ひらめきを発明につなげていきましたが、利彦は理性を重んじ、研究で得た成果に対し筋道を立てて理論化する、というプロセスを大切にしました。コツコツと積み上げてきた精米技術に関する理論を学術書「近代精米技術に関する研究」としてまとめた利彦は1988年、東京大学から農学博士号を取得したのです。

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佐竹利彦

二代目・佐竹利彦

「良いものは売れる。米の栄養が残り、人々
の健康に役立つ精米機なら、必要とされる」

脚気の撲滅に大いに貢献した胚芽米精米機

横型研削胚芽米搗精機(模式図)
横型研削胚芽米搗精機(模式図)

1930年に父子で開発した「横型研削式胚芽米搗精機」。当初、利市は胚芽を残して糠を削る方法に苦心していましたが、利彦は研削砥石ロールの回転速度と搗精圧力を調整することで、玄米が長手方向を軸に回転しながら、その向きを揃えていくことを突き止めました。この発見により、金剛砥石を胚芽に当てることなく、棒状に糠だけを削り取る胚芽米精米機が完成したのです。

宇品陸軍糧秣支廠に設置された胚芽米精米機
宇品陸軍糧秣支廠に設置された
胚芽米精米機

この胚芽米精米機はまず、宇品陸軍糧秣支廠に10台設置されましたが、軍に予算がないため父・利市は無償での献納としました。しかしこのことがのちに、満州や東南アジア諸国へ多くのサタケ製精米機が輸出されることにつながっていったのです。

利彦にとって大きな第一歩となった同機の完成は、当時の陸海軍で長年の課題となっていた脚気(ビタミンB1欠乏症)の撲滅に大きく貢献しました。米が本来持っている栄養成分を残し、その力を活用することで人々を健康にする、という初代・利市の信念は利彦へと引き継がれたのでした。

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佐竹覚

三代目・佐竹覚

「麦、とうもろこしへの技術展開と、米技術の深化。
未来へのさらなる成長を期して」

グローバル展開で健康に資する小麦製粉を実現

ベリテックシステム
ベリテックシステム

幼少時代から米国で育ち、ダイナミックな発想と行動力を培った三代目・佐竹覚。国内2か所の生産拠点を建設し、能率を飛躍的に向上させるとともに、海外においても生産・販売の拠点を次々に設立して、グローバルな事業展開を着実に進めました。

中でも大きな転換点が、製粉機事業への進出です。1991年、英国の名門製粉機メーカー・ロビンソン(ヘンリー・サイモン)の買収を皮切りに製粉機分野へ進出。長年培った精米技術と製粉技術とを融合させた「ペリテック(精麦製粉)システム」を完成させました。

このシステムで製粉した小麦粉は、農薬や菌が付着した外皮の混入が少なく、白度が高いというだけでなく、マグネシウム、ナイアシン、イノシトール、フィチン酸、リンなどのミネラル、ビタミンが豊富であるという特徴を持っています。人の健康に資する加工技術は、覚の英断により、米から小麦、とうもろこし、さらにその他の穀物へと広げられたのです。

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佐竹利子

四代目・佐竹利子

「麦、とうもろこしへの技術展開と、米技術の深化。
未来へのさらなる成長を期して」

GABA生成技術でもっと元気な人創りに挑戦

無洗米GABAライス
機能性表示食品となった
「無洗米GABAライス」

そして、三代の経営者の思いを受け継いだ佐竹利子代表は、米の力をより一層健康に活かすため、栄養成分GABAを豊富にする加工技術の研究に取り組んできました。その功績が認められ、2005年には京都大学より農学博士号を取得。白くて美味しく、しかも栄養成分に優れた「無洗米GABAライス」の製造は実用化され、2011年には「おむすびのGABA」にて、この無洗米GABAライスを使ったおむすびが提供されるようになりました。2015年には無洗米GABAライスが、お米として初の機能性表示商品となりました。

「食を通して元気な人を創る」。四代にわたり貫かれてきたこの精神は、まさにサタケのDNAともいうべき根幹であり、未来にわたって探求し続けるべきテーマなのです。

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05. サタケの歴史

06. データで見るサタケ

売上高・経常利益(サタケグループ連結)

2022年度

(売上高)000億円

(経常利益)00億円

サタケ製品の輸出国

000カ国

日本国内の大型精米工場(サタケシェア)

00%

北米の近代的精米プラント(サタケシェア)

00%

アジアの近代的精米プラント(サタケシェア)

00%

海外の営業拠点

00カ国00ヵ所

特許等の保有件数(国内、海外合わせて)

0000件以上

従業員数(グループ全体)

0000

男女比(サタケのみ)

0 : 0

年間休日数

000※うるう年は129日

07. サタケのミッション

サタケのミッション

サタケの歴史は常に「穀物」とともにありました。そしてこれからも、「穀物」の持つ優れた特性・機能を最大限に活かし世界の人々の「元気」をプロデュースするため、また「農業」を中心とし環境への負荷を抑えた「持続可能」な社会を構築するため、これまで各事業分野において培ってきたノウハウを有機的に結びつけ、新たな社会の構築に貢献してまいります。
これこそが今、サタケが目指す未来なのです。