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2024.09.26
No.24-028 / 2024年9月26日
米菓を世界の「BEIKA」に
― 美味しさを追求し品質にこだわる岩塚製菓の挑戦 ―
日本を代表する米菓メーカーとして名を馳せる岩塚製菓株式会社。「原料に勝る加工品はない」という創業者の信念は先人たちによって代々育まれ、形を変えながら現代へと色濃く受け継がれている。納得できるクオリティに達するまで妥協を許さず「美味しい」を究め、世界へ日本の伝統食品「米菓(BEIKA)」を届けるべく奮闘する同社の挑戦に迫る。
【岩塚村の人々の生活に明かりを灯す岩塚製菓】
初春の夕暮れ時、水田一面をオレンジ色に染める果てしない夕焼けを目にすれば、誰の心にも郷愁が沸き上がる。山々に見守られ四季折々を感じることができるこの土地は、新潟県の中央部に位置する長岡市。かつては岩塚村として呼ばれた地域である。県内屈指の豪雪地帯である同村の男性は、夏は農作業、冬は他県へ出向き酒造りに勤しみ家計を支えた。米菓のロングセラー商品「味しらべ」でお馴染みの岩塚製菓株式会社(所在地:新潟県長岡市飯塚2958番地)の創業者、平石金次郎氏と槇計作氏も例に漏れず、冬を岩塚村で過ごすことは叶わなかった。「岩塚村に雇用が生まれれば多くの人が家族と共に冬を迎えることができる」と考えた二人は、戦後の食糧難時代に地元で唯一収穫ができたサツマイモを原料に一念発起。カラメルを生産販売する岩塚農産加工場を1947年に創業し、同村で冬を過ごすという平石氏と槇氏、そして岩塚村の人々の夢を叶えた。
寝る間も惜しんで開発したカラメルは、世間から高く評価され品評会で金賞を受賞。その地位を不動のものにした。しかし、戦後復興とともに大手企業が参入。コスト競争で苦戦を強いられた同社は、1954年、カラメル事業から地元の米を使った米菓業に舵を切り、隣町の米菓メーカー下請け会社として再スタートを切る。岩塚農産加工場のオリジナル商品を発売した翌年、1960年に現在の社名「岩塚製菓株式会社(以下:岩塚製菓)」へと変更した。
【米菓産業の礎を築いた新潟のイノベーション】
1978年に味しらべ、1999年には黒豆せんべいなど、次々とヒット商品を世に送り出し、業界の革新的企業として君臨する岩塚製菓。その躍進の背景には、産学連携の拠点として新潟県加茂市に設立された農林水産省管轄の公設試験研究機関「新潟県食品研究所(現:新潟県農業総合研究所食品研究センター)」の存在が大きいという。同センターは、岩塚製菓の運命を変え、日本の米菓産業に革新をもたらす契機となった。「食品研究所の設立により新潟県が米菓大国へと発展を遂げたといっても過言ではありません。まさに米菓産業の革命です」と笑顔で語るのは、常務取締役の星野忠彦氏(以下:星野常務)である。
「同研究所設立時に創設された穀類食品課は、米菓製造工程の科学的解明や無菌包装餅、無菌米飯(パックご飯)などの研究開発に着手。1960年には全国初の米菓研究施設(製粉から焼成まで一貫した米菓設備一式)が完成し、産学連携による米菓研究に拍車がかかりました。また、数々の功績をもたらした米菓博士の齋藤昭三氏の存在も忘れてはなりません。齋藤氏は産学連携による共同研究で、現在の米菓作りの基幹となる製造技術理論と加工法を確立。このほかにも、せんべいの生地を自動で型抜きする『圧延・成型機』や、うるち米菓の大量生産を可能にした生地自動運行乾燥機『バンド乾燥機』を開発するなど、米菓業界にイノベーションを起こしたのです」(星野常務)。齋藤氏を中心とした産学連携の研究により米菓の礎を築いた新潟県は、岩塚製菓をはじめ日本を代表する大手米菓メーカーを多数創出。今日では国内米菓生産量の約7割を占めるなど名実ともに米菓大国へと成長した。
【原料に勝る加工品はない】
創業時から原料にこだわっている岩塚製菓は、国産米を100%使用している。また、コストや手間はかかるものの味や食感に直結する製粉にもこだわり、自社製粉を採用するなど唯一無二の「美味しさ」を追求し続ける。「『農作物の加工品は原料より良いものはできない。だから、良い原料を使用しなければならない』。これは創業の原点であり岩塚製菓の信念です」と断言する星野常務は、国産米が良い原料であると定義づけているわけではないと言う。創業者の信念を受け継ぎ、良い原料にこだわった結果「国産かつ良質な加工用米」に辿り着いたのである。「終戦後、長らく日本は米不足に陥り、米の流通は政府の直接統制下に置かれました。1967年以降は自主流通米制度が導入され、米流通も複線化。現在もその名残があり、輸入米は関税が700%かかるなど、まだまだ規制がかかっている状況です。輸入米は現地で精米した白米を船で搬送するため、精米からどれほど月日が経っているのか正確に把握することができません。そのため、再クリーニングせざるを得ず、原料劣化に繋がると考えています。つまり、安易に国産にこだわっているのではなく、現在の流通問題を踏まえたうえで国産米を採用しているのです」(星野常務)。
さらに、岩塚製菓は米の品質にも妥協を許さない。国産米には食用の「主食用米」と酒や加工米飯、味噌、米菓などの製造に供給することを目的とした「加工用米」が存在する。米菓で使用する加工用米のなかでも米の状態によって種類が区分されており、岩塚製菓の原料は、米の中心部分の良質なでんぷんを多く含む丸くて大きな米(通称「丸米」)にこだわる。しかし、丸米が原料の100%を占めるようになったのはここ数十年の出来事だという。長年の課題であった米流通問題を解決すべく、農家との信頼関係を築き、毎年少しずつ契約栽培を増やした結果、良質な原料を安定して得ることが可能となった。
また、自社製粉を採用する背景について、星野常務は「米粉を購入すれば米を洗う工程や製粉が不要なためコストダウンに繋がります。ですが、我々が目指すのは『お米の美味しさを100%届けること』。自社製粉を採用することで、やわらかい食感には細かい粒度の製粉を、噛み応えのある食感には粗い粒度の製粉をするなど、商品に合わせてバリエーション豊富な食感を再現することが可能になります。加えて、自社製粉のほうが風味を守ることができる。我々は美味しさを犠牲にする安易なコスト調整はせずに品質・味を優先した製品づくりを行っています」と語る。その姿勢からは、業界の先駆者としての矜持が読み取れる。
もちろん米以外の原料にもこだわりを見せる。ふわっと広がるやわらかい生地と香ばしい大袖振大豆が引き立て合う人気商品「大袖振豆もち」の大豆は、北海道十勝に位置する音更町の大袖振大豆を採用。数多ある大豆のなかでも、音更町の大袖振大豆が一番糖度が高く、これに勝るものはないという。そんな大袖振大豆だが、過去2回、冷害の被害によって収穫できない年があった。一度目は他県の大豆を代替したが味が異なると全国のお客様から申し出が届き、二度目は前回の反省を活かして音更町の大振袖大豆の種子を別の土地で栽培。しかし、これもまた全国の大袖振豆もちファンからさまざま意見が届いた。つまり、同じ大袖振大豆でも、音更町の土地で栽培されたものでなければ「大袖振豆もち」ではないのである。星野常務は「今後、冷害などで大袖振大豆が手に入らないことがあれば、休売したほうが良い。そうでないとブランド価値が守れないと思っています。代替が利かないという事実に対する懸念もありますが、それぐらい原料にはこだわっています」と断言する。厳選した素材と言えども品質は毎年微妙に異なる。同社はこの僅かな違いを把握して、岩塚製菓の商品と呼ぶにふさわしい商品だけを世に送り出す。まさに、創業者の信念が、過去から現在、そして未来へと受け継がれているのだ。
【品質を追求した先の未来】
1999年の発売より、岩塚製菓の看板商品として全国のお客様から愛され続けている「黒豆せんべい」もまた課題を抱えていた。それは、黒豆のなかでも種皮が水を通しにくく、加工しても硬い「石豆」の存在である。見た目は他の豆と変わらないが歯が欠けてしまう恐れがあるほど硬い石豆は、同商品で使用している原料の黒豆にもごくまれに混入している。しかし、目視や金属検査機での選別は困難なため、生地を製造する飯塚工場の工場長・星野辰宏氏は頭を抱えたという。「是が非でも石豆を除去したかったので、さまざまなメーカーの選別機で試験を行いました。しかし、結果は惨敗。加えて、選別機設置スペースも物理的制限があり、まさに八方塞がり。そんなときに洗米機や製粉機の導入実績があったサタケの光選別機の存在を知り、選別試験を依頼しました。その結果、我々が求める品質基準と選別ラインの設置条件を満たしたことが決め手となり、2024年2月、せんべいを焼き上げる前工程の生地製造工場の黒豆せんべい専用ラインに導入しました」(星野工場長)。
今回導入した「ベルトゥーザ・スペクトラ」は、近赤外線からX線域までの広域波長帯と人工知能(AI)を搭載したベルト式光選別機。MIX感度と呼ぶ画像処理技術も採用しており、同色で成分の違う不良品を選別する近赤外線2波長と、変色など微妙な色差の不良品を除去する可視光3波長から得られる情報を最適な組み合わせで検出し、石豆を取り除く。また、型抜きしたせんべいの生地同士が重なり結着しているものも取り除くべく、X線を駆使し、部分的に厚み(重なり)のある原料を見分けて的確に選別を行う。星野工場長は「生地工場の後工程である焼き上げ工程は生地を選別する人員が居ないため、生地同士が結着した状態で焼き上げ工場に届くと、きれいに整列ができずトラブルに発展します。石豆を除去するだけでなく重なっている生地も選別できるようになり、まさに一石二鳥。導入して良かったです」と安堵の笑みを浮かべる。
また、星野工場長はサタケ広島本社のお客様サポートセンターの存在も心強いという。同センターはお客様からの問い合わせや機械トラブルの一次受付を電話で対応する専門部署である。「ベルトゥーザ・スペクトラ導入当初は、機械操作によるトラブルや誤作動がたびたび生じました。決まってどれも夜間に発生するため困っていたのですが、24時間体制のため迷いなく連絡することができ、早急に問題を解決することができました。米菓は品質管理が難しく、トラブルは可能な限り早く対応してほしいというのが本心。電話で解決できない場合は、我々と同じ新潟に営業所を構えるサタケのメンテナンス部門(サタケグレインマシナリー)が駆けつけて対応してくれるので、大変助かります」と語る。
【世界のBEIKA(米菓)を目指して】
味・品質ともに世界最高峰を目指す岩塚製菓は、美味しい米菓を世の中に届けるため、妥協を許さず努力を惜しまない。2021年2月には、新機軸の商品開発を担う次世代型の開発機関「BEIKA Lab」を新設するなど、常に進化し続けている。そんな同社が目指す次なる目標について星野常務は「米菓は日本の米、日本の文化から発祥したお菓子であることを美味しい商品とともに世界中に届けることが我々の使命です」と意気込む。米菓業界を代表する同社だが、長年、意図的に海外輸出は行っていなかったと言う。「近年、海外でも米菓商品を目にする機会が増えたのですが、その多くの商品は、湿気・酸敗・油やけが目立ち、美味しい状態で購入できているとは想像しづらい状況でした。品質にこだわる弊社が美味しい商品を世界に届けるためには、賞味期限の延長という課題をクリアしなければなりませんでした」(星野常務)。
従来、岩塚製菓の商品賞味期限は4ヵ月(現在は6カ月)だったが、海外のインポーターから届く希望は最低1年。創業以来、品質にこだわり続けてきた同社は、海外展開に向けた課題と真っ向から向き合うべく海外事業部を新設し、何年もの月日をかけて商品開発に着手した。美味しさを追求し続けた結果、パリッとした食感や米の風味を長期間損なわない日本の伝統食品と呼ぶに相応しい岩塚製菓の新商品「BEIKA MOCHI」を開発。特殊な包装形態を導入したことも後押しして、賞味期限1年半を実現した。同社は2023年12月、海外展開の第一弾としてハワイで「BEIKA MOCHI」の販売を開始し、好評を博している。「メーカーの立場からすると、正直原価は高いですが、初めて出会う米菓は美味しいものであってほしい。海を越えて辿り着いた先でも、お客様が食べるその瞬間まで美味しさが保証されていることが一番重要です。現在海外では、米菓は『ライスクラッカー』と呼ばれています。日本酒が『SAKE』、寿司が『SUSHI』と存在感を放つように、米菓は『BEIKA』として世界中の人々から愛されてほしい。そんな存在となるよう、我々は創業者や岩塚村の人々の魂が宿っているここ長岡から世界に向けて日本の伝統食品を発信し続けます」と語る星野常務の表情はやる気に満ち溢れている。
【取材を終えて】
創業から今日まで、岩塚製菓が一貫してこだわり続けてきた「品質」。納得できるクオリティに達するまで妥協を許さず、原料の力を最大限に引き出し「最高」を突き詰める。同社の商品はそんな哲学のもと生まれているから美味しいのである。しかし、「美味しい」理由は原料や品質だけではない。「絶対に美味しいものをつくる」という社員一人ひとりの情熱が多くの人々へ感動を与え、唯一無二の存在となり、愛され続けているのだ。
今日もまた世界のどこかで「BEIKA」の味や感動が、色褪せることのない記憶として人々の心に深く長く刻まれるだろう。
以上
(本リリースへのお問い合わせ: TEL 082-420-8501 広報部)
※ニュースリリースの内容は発表時のものであり、最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。