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高知県唯一の酒米精米存続工場 存続への道

2024.07.08

No.24-021 / 2024年7月8日

高知県唯一の酒米精米存続工場 存続への道

― 高知銀行グループ子会社主導で土佐酒の危機を脱す ―

 2023年3月、高知県唯一の酒米精米工場の閉鎖が地元高知新聞に掲載され、県民の多くが知ることとなった。土佐酒の将来に危機感を抱いた高知銀行や高知県酒造組合は存続を期し、幾多の難題を克服。2024年4月15日、「こうち酒米精米工場」として再稼働した。このたび関係者にインタビューし、存続を成し遂げた彼らの熱き胸中に迫った。

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月の名所として有名な桂浜

【高知県の風土・食・人】
 酒米精米工場再興の紆余曲折を顧みるには、高知(土佐)の風土・食・人を語らねばならない。それらがストーリーの背景に色濃く存在しているからである。「南国土佐」の名の如く、高知は太平洋を望む扇状の海岸線が続く南国のイメージであるが、森林面積比率が日本一(84%)という事実には驚かされる。降水量3,121mmで全国2位、日照時間2,211時間で同7位(2021年)という特異な気候で、「晴れか雨か」という明快な気候の対比が独特の気性を育んでいるのかもしれない。「いごっそう(頑固で気骨のある男)」や「はちきん(男勝りの女性)」はその代名詞と言えるだろう。思い込んだら一直線という気質でありながら「酒を酌み交わせば誰とでもすぐ親しくなれる」「心が温かくて誰にでも親切」という人柄は取材中にも強く感じた。

 海・山・川の三拍子に恵まれた高知は食材の宝庫である。海の幸は言わずと知れたカツオ(たたき)をはじめ、ドロメ・サバ・ウツボなど長い海岸線と黒潮が豊富な魚種をもたらす。イタドリ・リュキュウ・柚子など山の幸、川エビ・鮎・ツガニなどの川の幸も豊かである。さらに高知は農業が盛んで「園芸王国」と称され、トマト・ナス・ピーマン・生姜・ミョウガ・文旦など枚挙にいとまがない。これら豊かな食材を生かす料理の代表格が皿鉢料理で、大皿にいくつもの料理を豪快に盛り付ける様は、土佐人の心意気を示す郷土料理としてその名が知られている。何でも寿司にすると言われるほど多様な土佐寿司文化もあり、人との交流を楽しみ、食材と料理が渾然一体となった食文化は、高知の風土と人が育んだ無形の財産と言えるだろう。

 旨いものとくれば、旨い酒というのは当然の帰結で、「土佐酒」はつとに有名である。酸度が高く、アミノ酸度が低い淡麗辛口酒で、食中酒として料理を引き立て飲み続けられる特徴を有している。土佐弁で「おきゃく(=土佐流宴会)」と「なかま(=シェアする)」という言葉がある。「おきゃく」で、皆が酒や肴、空間も「なかま」にする。酌み交わせば誰でもすぐ仲間になれる、人間関係を良好にする潤滑油として土佐酒の存在意義は深いのである。また、酒造りにとって米・水・酵母はきわめて重要であるが、その要素・素地も調っている。以前は酒造好適米の県外依存度が高かった高知であったが、県産米への要望が強まり、酒造適性米「土佐錦」を皮切りに「吟の夢」「風鳴子」「土佐麗」の酒造好適米が誕生した。水も、四万十川・物部川・仁淀川などの水質の良い一級河川の湧水が仕込み水として使用されているほか、1995年頃から海洋深層水を仕込み水として利用した酒造りも行われている。酵母に関しても、高知県工業技術センターでさまざまなタイプの高知酵母が開発され、高知県内の酒蔵で使用されている。特筆すべきは、同センターが高知酵母の配布、原料米・麹・もろみの分析を行い、高知県18蔵の分析データを全蔵で情報共有(フィードバック)するという画期的な取り組み(高知方式)をしていることである。この技術支援と各蔵の連携の成果が「令和3酒造年度全国新酒鑑評会」で明らかになった。高知県から出品された12点中8点が金賞に選ばれ、都道府県別の金賞受賞率66.7%で全国1位の栄誉に輝き、金賞を含めた入賞率も83.3%という快挙を達成したのである。これこそ「酒国土佐」の面目躍如であり、土佐酒全体のレベルの高さを証明したものと言えるだろう。  

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土佐酒(全18蔵の代表銘柄)

【酒米精米工場の閉鎖と影響】
 高知には、酒造りに適した風土、慣習、技術、原材料、連帯感などの有形無形の財産がある。加えて月並みではあるが、土佐は坂本龍馬や中岡慎太郎の生まれ育った地であり、信念と気骨の精神を持って道を切り拓く土壌があると想像する。実は、これを可視化したような出来事が土佐酒を巡って繰り広げられたのである。

 事の発端はこうだ。2023年3月、高知県内唯一の酒米精米工場(高知県南国市大埇甲50番地)の閉鎖が検討されることになったのである。同工場は1996年に完成し、県内18の酒蔵のうち自前の精米機を有しない13蔵から、県内の玄米使用量の35%にあたる年間約850トンの委託精米を行っていたが、設備が老朽化し改修を余儀なくされていた。だが、改修費捻出のため高知県酒造組合に精米料金の値上げを打診するも折り合わず、閉鎖の検討に追い込まれたのである。実際に閉鎖された場合、13蔵は県外へ精米を委託せざるを得なくなるが、輸送費などコスト増が重くのしかかることになる。「酒国土佐」を標榜しながら県内で精米できなくなるというジレンマも抱え、酒蔵や酒造組合の心中は穏やかではなかったであろう。この事態に酒造組合が同工場を引き継ぐことを模索したが、資金調達の壁は如何ともしがたく、構想は画餅に帰すことになった。手詰まり感が支配し万策尽きたと思われたが、ここに突如として一人の救世主が現れることになる。

【再興への熱き思い】
 「酒米精米工場の閉鎖は新聞で知ったがよ」と笑顔で語る紳士。彼こそ、酒米精米工場の存続に尽力し、土佐酒の灯を守った立役者である株式会社高知銀行代表取締役会長の森下勝彦氏(以下「高知銀行」「森下会長」)である。森下会長は新聞記事を読み、口惜しい思いに駆られたという。「海外にも輸出しているのに県内で精米できないのはおかしいし、土佐酒がなくなる思いだった」と当時の心境を語る。自身も土佐酒をこよなく愛しているがゆえに、その思いは強かったのであろう。愛飲家が一種の寂寥感に苛まれたと言うべきかもしれない。

 通常なら物語はここで終わる。いかに郷土や酒を愛しているとはいえ、自らが酒造家でもなければ、事態に直接関与しているわけではないからだ。だが、ここから森下会長が動いた。「何とかせんといかん」という思いが駆り立てたのであろう。起死回生の妙手があるわけではないが、長年金融のプロとして培った才覚や豊富な経験、人脈がある。土佐に対する熱き思いに、このプロの直感が重なり合ったのかもしれない。森下会長は1977年に高知相互銀行(現高知銀行)に入行。以後、さまざまな部署で経験と実績を積み重ね、2012年に代表取締役頭取に上り詰めた。その後、9年3ヶ月の任期を終え代表取締役会長となった、まさに「Banker of bankers」であり、その手腕と人望は高く評価されている。森下会長は、まず高知県庁に話を持ち込んだ。大願成就のためには県を含め多くの協力・賛同者を巻き込み、揺るぎのないものにしなければならない。事は土佐酒全体に関わるため、一個人や一企業では成し得ることができないのである。また、県からの一定の支援を得るためには、実現可能なプランニングも必要である。この時、森下会長の脳裏には、あるシナリオが進行していた。「株式会社地域商社こうち」を活用する腹案である。

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森下勝彦高知銀行会長

 「株式会社地域商社こうち」(以下「地域商社こうち」)は高知銀行のグループ子会社として、2022年12月に設立された。事業コンセプトに「地域の産業、教育、自治体、金融との連携による地域付加価値の創出」を掲げ、「地域が抱える課題を解決し、持続可能な地域づくりと地域活性化を目指す」としている。酒米精米工場の閉鎖はまさに地域の課題であり、解決策を見出し持続可能なものにする必要があった。この地域商社こうちで中心的な役割を果たしたのが、同社代表取締役社長山本一也氏と取締役竹内清彦氏である。二人はともに高知銀行出身であり、金融と地域経済に精通している。森下会長の構想は、銀行内のプロジェクトチームと地域商社こうちでさまざまな角度から検討・企画化され、より具体的で現実味のあるプランへと昇華していった。そこには夢や思いだけではなく、銀行マンの視点から実現性、採算性、将来性など多角的な検討が行われた。プランニングだけではない。再興のためには人や組織を動かす必要がある。今回のケースでは地域商社こうち、高知県酒造組合、JA高知県、そして高知県庁の連携が求められた。それぞれ考え方や事情が異なるが、同じベクトル方向に統一しないと構想は水泡に帰す。山本、竹内の両氏は森下会長の意を汲み、粘り強く四者の連携に邁進した。時に熱く議論し、時に杯を酌み交わしながら一歩一歩駒を進めていった。


地域商社こうち山本一也社長
地域商社こうち山本一也社長

地域商社こうち竹内清彦取締役
地域商社こうち竹内清彦取締役


 高知県酒造組合(以下「酒造組合」)は森下会長の意向や地域商社こうちの動きに歓迎の意を示した。同組合の竹村昭彦理事長と高木直之副理事長は、高知県内唯一の酒米精米工場が閉鎖されることに強い危機感を持っていた。土佐酒の品質評価が高いことに加え、日本酒の海外でのブーム到来による輸出も増加傾向にあり、精米も県内で行うことで海外ファンにアピールできると考えていた。ワインのテロワール(生育地の地理、地勢、気候による特徴)に近い考え方と言えるかもしれない。両氏は全酒蔵に存続の構想を説き、リニューアルする精米工場を利用するよう働きかけた。交渉段階では総論賛成・各論反対的な立場を示す蔵もあった。竹村、高木両氏は、それぞれ司牡丹酒造株式会社、高木酒造株式会社の代表取締役の立場にあり、各蔵の事情はわが身として痛いほど理解できる。だが、窮地を打開したいという強い信念で辛抱強く説得し、やがてその思いが18全蔵に通じた。両氏は一酒造家としての立場だけではなく、土佐酒全体、ひいては土佐文化までも心を馳せている。竹村理事長は「精米工場の閉鎖話は寝耳に水だった。森下会長が音頭を取ってくれて、県からの補助金が決まった時は地獄に仏の思いだったよ」と安堵の表情を浮かべたが、そこに至るまでに相当の心労があったことは想像に難くない。

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竹村理事長(左)と高木副理事長

 高知県庁もこれらの動きに呼応し、2023年8月、四者の協力による事業化が決定され、同年10月16日に「高知県内における酒米の精米事業に関する協定」を締結した。この連携内容は、「精米工場の安定的かつ継続的な運営に関すること」「高知県産酒米の使用・生産拡大および安定供給に関すること」「糠等の活用による地域活性化に関すること」の3点で、「四者が互いに連携協力して高知県内における酒米の精米体制を構築することで、高知県産酒米の使用および生産の拡大による地域産業の振興ならびに経済の活性化を図る」ことを目的としている。この事業には改修費計2億2,300万円のうち、県から1億円が補助された(酒米用精米設備等整備事業補助金)。事業構成は、県が精米事業を行う地域商社こうちに設備導入支援を行い(事業継承)、酒造組合が土佐酒の製造・販売を担い、JA高知県が酒米の生産を促進させるというものであり、それぞれ異なった役割を果たすが、皆の熱き思いは一つであった。

【改修と事業開始】
 念願の再興(事業継続)への道が定まり、いよいよ工場改修の具体的進捗段階に進んだ。改修の中核は老朽化した醸造用精米機や周辺機器の更新である。工場には5台のサタケ製醸造用精米機(DB25E)が設置されていたが、そのうち2台を四国で初導入となる新型醸造用精米機(EDB40A)に更新するほか、光選別機SLASHの増設、中央監視システムの更新などが計画された。特にEDB40Aは、これまで成し得なかった原形精米を可能にした最新機種で、「真吟」というブランド名が冠されたものである。たが、県からの補助事業のため2024年3月には完工せねばならない。四者協定の締結が2023年10月であったことから、約5か月という短工期にならざるを得なかった。ハード・ソフト設計、設備機器調達、工程管理、人員確保など課題が山積したが、関係者の尽力により何とか納期に間に合った。再スタートした工場は「こうち酒米精米工場」と命名され、地域商社こうちが運営する運びとなった。

news240708-7.jpg再興したこうち酒米精米工場

 2024年4月15日、「こうち酒米精米工場」の事業開始の記念式典が執り行われ、参列した酒蔵や酒造組合、高知銀行など多くの関係者が見守る中、新型醸造用精米機の初運転を行った。席上、地域商社こうちの山本社長は「品質の向上を図り、土佐酒を全国はもちろん海外に向けてしっかりアピールしていくお手伝いをしていくという思い」と挨拶し、今後果たす役割について抱負を語った。本格稼働は8月からとし、従来の球形精米と新しい原形精米の両方を行う計画だ。


初導入した醸造用精米機「真吟」
初導入した醸造用精米機「真吟」

光選別機「SLASH」
光選別機「SLASH」

【今後の展望】  酒米精米工場の突然の閉鎖から1年余。一時は土佐酒の危機に多くが落胆し行く末を案じたが、見事に存続を果たした。その過程には、難題に向かい熱き心とクレバーな思考、そして果敢な行動力を持ち合わせた土佐人がいた。高知銀行、地域商社こうち、酒造組合、JA高知県、高知県庁のどれか一つが欠けても成就しなかったであろう。とりわけ、銀行が主体となって進めた精米事業の再興は他に例を見ない。今後、他県でも委託精米が困難になるケースも考えられるので、高知銀行の事例は大いに参考になるのではないだろうか。

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これからの思いを語る森下会長

 最後に、森下会長にこれからの思いについて聞いた。「精米工場が再稼働できて本当に良かった。でも始まったばかり」と嬉しい気持ちの中に油断はない。そして、この1年を回想しながら将来について語った。「最初、資金繰りが赤字になるようではできないと思っていた。そのため色々と知恵を絞り、多くの人に協力してもらった。今後順調に稼働し、需要が増えたら残り3台の精米機も更新したい。現在は13蔵だが、18蔵すべての精米ができるようになればと思うし、落ち着いたら県外にも委託精米の幅を広げたい。酒米生産にも関わっていきたい。新たに酒米を生産する農家も出てきており、耕作放棄地をうまく活用できたらと思う」。さらに、今後の酒蔵に対する銀行の支援について聞いたところ、「銀行は業務上多くの酒蔵と取引があるが、まずは思いや要望を聞くことから始まると考えている。そのうえで、資金作りのお手伝いや経営ノウハウのアドバイスを行いたい。可能なら日本酒のファンド立ち上げも考えたい」と語った。森下会長の言葉は、高知銀行が単に資金を提供する金融機関ではないことを示している。そして最後に、「高知銀行を、日本一日本酒に寄り添う銀行にしたい」と語り相好を崩した。

 【取材を終えて】
 今回の酒米精米工場の再興は、森下会長をはじめ熱き思いを持った者たちが創った新たな歴史だと感じさせられた。銀行が主導する稀有な例として、これからも語り継がれるであろう。動乱の時代に新しい理想の世界を求めて脱藩し、信念と気骨の精神で幕藩体制を崩壊させる薩長同盟の礎を作り、新しい日本の夜明けを作った坂本龍馬と中岡慎太郎。時代は違えど、「いごっそう」の精神はしっかりと生き続けていることを目の当たりにした思いであった。土佐は、日本酒に対しても新たな時代を造ろうとしているのかもしれない。 

 まさに「土佐は土佐」なのである。

以上

【追記】
 6月19日付で、地域商社こうちの山本一也代表取締役が顧問、竹内清彦取締役が代表取締役に就任されましたが、本リリースでは取材時の役職で表記しました

(本リリースへのお問い合わせ: TEL 082-420-8501 広報部)
※ニュースリリースの内容は発表時のものであり、最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。



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