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「JAハイナン」新ライスセンター建設への熱き思い

2010.11.30

2010年11月30日

ユーザー紹介

「JAハイナン」新ライスセンター建設への熱き思い

--- 組合長の熱意と現場主義が見事に結実 ---

 農業、とりわけ米農家を取り巻く環境は年々厳しさを増している。農業従事者の減少と高齢化、米消費量の減少と米価の下落など、明るい展望が見出しにくい現況がある。一方、消費者の安全・安心に対する意識の向上や海外の日本食ブームなど、日本の米に対する評価は高まっている。このような状況の中、熱意と真心のある組合長の下で農家や農業と正面から向き合い、地元の優れた農産物を守り育てようと賢明に努力している静岡県の「ハイン農業協同組合(以下、「JAハイナン」)。今回はJAハイナンの新ライスセンター建設に懸けた熱き思いと成果を紹介する。

【静岡は日本の縮図】

JAハイナン 櫻井猪三夫代表理事組合長

 北に富士山・赤石山脈を仰ぎ、南に駿河湾・遠州灘を望む「静岡県」。実は日本一の標高差を持つ県で、比較的暖かな海洋性気候の沿岸部と、標高が高く内陸性気候の内陸台地や山間部に分かれる。産業的には、お茶やミカンに代表される農業、マグロやカツオ漁などの漁業が有名であり、さらに東に東京、西に名古屋という大消費地に近く、東海道の主要幹線が県内を縦貫している恵まれた立地環境を活かし、多様な二次産業が集積している。また、自然・地理的条件や人口・産業構造から「日本の縮図」と呼ばれることもあり、その意味で日本を代表する県と呼べるであろう。様々なメーカーが新製品のテスト販売を静岡県で行うことが多いのも、うなずける話である。

【大井川は豊饒の源】

 今回紹介するJAハイナンは、平成5年3月に静岡県の榛原郡南部に位置する4町(御前崎町・相良町・榛原町・吉田町)の3農協が広域合併し誕生した農協で、その後、平成16・17年の市町村合併により、2市1町(御前崎市のうち旧御前崎町・牧之原市・吉田町)になった。当地域は、東に大井川、西にマリンスポーツの聖地として知られる御前崎、北には全国有数の茶産地「牧之原大茶園」が広がり、南には広大な砂浜と遠浅の海岸線が駿河湾に面している。県中央部の温暖な気候と肥沃な土地に恵まれた所だ。
 「吉田の米が旨いのは大井川の恩恵」と語るのは、JAハイナン代表理事組合長の櫻井猪三夫氏(72歳)である(以下、「組合長」)。南アルプス(赤石山脈)から流れ出る大井川の伏流水は、米をはじめ、レタス・メロン・ミカン・イチゴ・トマトなどの施設園芸にも有効活用されている。大井川の河口にある吉田町を例にとり、「砂質土は本来あまり土地が良くないとされるが、ここは大井川の伏流水のお陰で美味しい米ができる」と組合長は語る。まさに大井川は豊饒の源なのである。

 

【米は裏作】

米収穫後に植えられたレタス

 JAハイナン管内における栽培面積は、茶園が約2560ha、水稲が約1140haと、さすがに日本有数の茶産地である。また、米の収穫後にレタスの苗を植えて栽培するという二毛作をしている田んぼが多いが、組合長は「レタスが主で、米は従。冬のレタスが表作で、米は裏作」と言う。とはいえ、米づくりにも力を入れていることは、ライスセンターの建設にも見て取れる。
 去る9月14日、新ライスセンターの竣工式が行われた。出席した組合長の脳裏には、竣工式までの様々な努力・苦労の日々が走馬灯のように駆け巡ったであろう。その理由を説明するには、まずはJAハイナンの旧ライスセンターについて述べる必要がある。
 旧ライスセンター(吉田ライスセンター)は、共同利用施設の合理的利用により水稲作業経費の削減を図るため、昭和63年度農業構造改善事業(高生産性水田農業確立農業構造改善モデル事業)により整備し、地域振興に活用されてきた。しかし近、収穫機械の大型化と収穫ピーク時の集中により施設処理能力が不足し、乾燥機等の増強や建物の大幅な増設が必要となってきた。また施設の老朽化も激しくなり、平成12年度に乾燥機の一部更新を実施して対応したが、その後、新たな問題として近隣住民から騒音・粉塵等の苦情が頻発した。さらに機械の老朽化も目立ち始め、組合長はじめJA職員はこれらの対応に苦慮した。そして組合長は一つの決断を下した。「移転して新ライスセンターを建設する」と・・・。

【組合長の大英断】

 組合長の決断は結果として大英断であった。しかし、旧ライスセンターは補助事業として国から補助金を受けた施設であり、償却が終了していない状況では国の認可は困難であった。「どうしてもと言うのなら、今の場所に建て替えること」と国。だが、近隣住民からの苦情があり同一場所に建て替えはできない。また、この旧ライスセンターには主要道路が通じておらず、農家が米の搬出入に不便であることも移転を決意させる要因であった。
 ライスセンター移転のために、組合長は2つの課題を解決しなければならなかった。1つは国を説得すること。もう1つは最適な移転先を速やかに確保することであった。組合長はじめJA職員は熱意と志を持って国との折衝に当たった。JAとして、町として、大井川の伏流水で育った美味しい「吉田の米」をブランドとして守るというのも大義名分であった。幾度も国との折衝を重ね、その熱意に押されたのかついにも移転を了承した。
 一方、移転先についても、どこでも良いというわけにはいかなかった。少なくとも旧ライスセンターでの問題はクリアしなければならない。その上で、これからの農業・米づくりを見据えた意義あるライスセンターを作らねばと組合長は考えた。その結論が、既存の育苗施設(レタス・米用)に新ライスセンターを隣接させるという構想であった。前述の通り、米収穫後に表作であるレタス栽培が始まるこの地域にとって、両者が隣接することは効率や利便性の面で有効である。農家にとっても乾燥・籾摺などの負担が低減できるメリットがある。組合長はこの構想を積極的に推し進めたが、ここでも再び超えなければならないハードルが待っていた。

【難題に果敢に挑戦】

 育苗施設の敷地には、ライスセンターを新設する余地はなかったのだ。となれば周囲の土地(田んぼ)を買収し敷地を拡張しなければならない。田んぼはJA組合員の所有地であるが、簡単に買収に応じるという保証はない。組合長は意を決し、その農家を訪ねた。「話があるんだが・・・」と切り出して、承諾を得るまでに時間は掛からなかった。「組合長の頼みならば」と快く承諾してくれたのだ。後述するが、組合員と組合長の間には強い信頼関係が確立されているのだ。
 さらに、ライスセンターの建設が収穫時期に間に合うかという工期上の問題があった。国との折衝が難航したため、4月の段階では国の正式認可がまだ下りていない状況だったのだ。万一ライスセンターの稼動が遅れると、米の収穫農家に大きな迷惑をかけることになるのだ。建設を急がなくてはならないが、中途半端なライスセンターにはしたくない。組合長は組合員への使命を果たすという思いで、ライスセンターの建設推進に全力で取り組んだ。

【メーカー決定と突貫工事】

JAハイナン 新ライスセンター全景

 4月、JAハイナンは新ライスセンターの施設(機械)をサタケに決定した。旧ライスセンターもサタケであったが、当時の組合長が「一流の会社の一流の機械を使うのが良い」という考えを持ちつつ、同時に現場の声を聞き決定したものだ。今回の決定にも組合長は、「実際の使い勝手は良いか」など、現場の声をつぶさに聞いて回った。決して上意下達の一方通行ではなく、「現場が優先であり、現場の声に耳を傾けることが大切」と組合長は語る。そして現場の声は、「サタケは故障が少なく、何かあってもすぐ来てくれる」、「吉田の米を維持するにはサタケが良い」など、センター長はじめ関係者全員がサタケを推した。野菜がメインであるが、米も良くなければ駄目であるという思いがそうさせたようだ。

新ライスセンタの内部(タンク)

 その後、国の正式認可も下りたが、ここからJAそしてサタケにとっても大きな試練が待ち受けてい。ライスセンターは建屋の建築から始め、その後、機械設備の工事(サタケ受注分)に入るのだが、サタケが施工を開始したのがなんと7月下旬だったのだ。常識的には完工は10月以降になる計算だ。しかし10月では収穫に間に合わない。JAハイナンは9月20日の稼動をサタケに依頼した。通常の工期では9月20日は難しいが、何とか調整・算段してその線で進むことになった。実は春の段階で、ある程度工期を見越して田植えを1週間遅らせるよう農家に依頼してあったのだ。



新ライスセンターの内部(乾燥機)

 ところが事態は急転する。7月の猛暑のため稲の生育が急激に進み、逆に収穫時期が例年よりも1週間早まったのだ。組合長は予期せぬ事態に対し、9月5日の稼動開始をサタケに要望した。これはサタケにとっても常識を超える厳しい工期設定となった。工事にかかる段取りの全てを徹底的に見直し、さらに工事関係者を大量に投入するなど、組合長の熱意と農家の切望に可能な限り応えるよう努力した。この非常事態とも呼べる状況に、精力的に突貫工事を実施し、あらゆる手を尽くし、9月10日には何とか稼動できる状態までになった。あとは可能な限り9月5日に前倒しする努力を傾注した。組合長もギリギリまで農家からの籾の搬入を遅らせたが、最終的に9月8日の搬入開始(受付開始)を宣告した。新ライスセンターはJAハイナン独自の事業として一切の補助金なしで、全額JAの目的積立金で賄う。それゆえ、セレモニーである竣工式は後回しにしてでも、農家の収穫に絶対に間に合わせるという農家主体・現場中心を旨とする組合長の決意があった。

新ライスセンターの内部(籾摺機)

 結果的には9月6日、農家から籾の搬入が開始された。乾燥機に籾が投入されている中、籾摺機などの後工程はまだ工事が続いていた。しかし既に明るい見通しがついていた。誰もが不安を抱いた工事であったが、JAハイナンとサタケが共に力を合わせ、目標を達成した。「サタケには無理を言ったが、9月8日に間に合って感謝している。米に懸けるサタケの熱意はすごい」と組合長は最大限の賞賛をサタケに贈ったが、それは組合長の熱意と真心に関係者の全てが心打たれ動いた結果であった。





【順調な稼動と成果】

堀住明芳 吉田営農経済センター長

 9月14日、竣工式は無事執り行われた。育苗施設に併設したライスセンターは以前よりも格段に利便性が向上した。「JAハイナンの米の拠点ができた」と語るのは、吉田営農経済センター長の堀住明芳氏(55歳)である(以下、「センター長」)。センター長は、組合長の指揮の下、新ライスセンターの建設に尽力した人物である。当初、新ライスセンターをどこに持ていくか思案し、育苗施設周辺を候補に挙げた。乾燥調製作業が終了した今、センター長は「サタケはあれだけの短い期間の中でよく完成してくれた」と心情を吐露した。また「旧ライスセンターと比べ作業性が格段に違う」と評価している。例えば、パソコンの画面から全ての乾燥機の運転ができることも従来とは違うところだ。
 組合長もシーズン終了後の感想を語った。「稼動開始後、初期のトラブルがあったが、サタケは翌朝には直し、稼動への影響を回避した。その後のアフターサービスも良く、技術者をクルーとして派遣してくれたことにも感謝している」。さらに期待以上の成果を上げたものがある。それは湿式集塵機と光選別機の導入であった。旧ライスセンターで苦情が出た粉塵はなくなり、逆に集められた粉塵汚泥を発酵堆肥化し希望の農家に分けている。乾式集塵機との価格差はおよそ4000万円であったが、導入の効果は歴然だったのだ。

威力を発揮したマジックソーター

 光選別機(マジックソーター)も高価であったが、これもその威力を遺憾なく発揮した。今年の全国的な猛暑で各県の1等米比率が低下したが、JAハイナン管内でも例外ではなく、光選別機を通さない状態では56%という低い状態であった(平年は80%程度)。ところが、光選別機を通した農協出荷米の1等米比率は何と100%であったのだ。持ち込まれた籾がすべて1等米になるという快挙であった。これには組合長もJA関係者も異口同音に「光選別機を導入して良かった」と胸をなでおろした。
 新ライスセンターの完成までには幾多の難問や試練があったが、組合長やJA関係者のこれまでの苦労を払拭するように稼動後は順調に推移した。紆余曲折あった新ライスセンター建設だが、組合長やJA関係者の熱い思いが見事に結実した。これからのJAハイナンの米づくりに大いに貢献することは間違いないであろう。

 

【組合員と共に】

 今回の新ライスセンターを無事に完成させた組合長。その熱意と組合員からの信頼はどこから生まれて来たのだろうか。組合長は昭和32年にJA(農協)に入り、様々な部署を経験したが、上司に徹底的に指導されてきたのだという。「農家が夕飯を食べ終わってから家に帰れ。それまでは職場に居ろ」と常に上司から言われた。朝6時に出勤、昼間は仕事に明け暮れ、夕方6時にやっと昼食、そして帰宅後11時に夕食という生活が続いたという。
 そこから学び実践したことは、「基本は経済、そして組合員から信頼される職員になれ」ということであった。そのため、とにかく組合員宅を数多く訪問し、組合員の要望に耳を傾け、あるいは一緒に汗をかきながら仕事した。組合長は「台風が来た日に自宅に居たことがない」と言う。農家を回り、各戸の状況把握や台風の被害防止に対するアドバイスを行った。このような長年に亘る組合員との交流や現場第一主義が、組合員からの厚い信頼につながり、それが「最後に櫻井に経営をやらせたい」という声に昇華し、組合長に就いたのだ。「組合長は組合員との信頼関係があって初めて存在意義がある」と組合長はしみじみ語る。

 「大井川の水で育てた吉田の米を守る」。そう言った組合長の熱き眼差しは、JAハイナンの将来を見据えている・・・。

(本件へのお問い合わせ: TEL 082-420-8501 広報室)
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