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種子で世界の「食」に貢献するタキイ種苗

2010.01.26

2010年1月26日

お客様紹介

種子で世界の「食」に貢献するタキイ種苗

--- 「一粒万倍」の信条で創業175周年 ---

タキイ種苗株式会社 本社

 今、世界では気候変動や人口増加による食料不足が懸念されている。すでに「食」を巡る争奪戦も始まっており、食料問題は環境問題とともに喫緊の課題である。しかし、食料増産はそれほど簡単な話ではない。気候変動による気温上昇や水不足が、穀物や野菜などの生育に影響を与え、収量や品質の低下につながる事態も発生している。穀物や野菜は、その多くが「種子(タネ)」を生命の源としており、まさに種子の良し悪しが人類の生命線であると言っても過言ではない。この種子を良質かつ安定的に生産・供給するためには、長年にわたる不断の研究と地道な努力が必要であろう。 種苗のリーディングカンパニーとして躍進を続けるタキイ種苗株式会社(京都市下京区梅小路通猪熊東入、代表取締役社長 瀧井傳一氏)は、2009年にサタケの光選別機「フルカラーベルトソーター(CS600BIC)」を導入し、さらなる種子の品質向上に取り組んでいる。このたび同社を訪ね、これまでの経緯や種子に懸ける思いなどについて取材した。

「タネのタキイ」

 「タネのタキイ」。タキイ種苗株式会社(以下「タキイ」)を簡潔に表すこの代名詞を多くの人が知っている。しかし、今年(2010年)、創業175周年を迎える企業であることに驚く人も多いのではないだろうか。そう、タキイは押しも押されもせぬ老舗企業なのである。

タキイ175周年の記念ロゴ

 タキイの創業は江戸時代後期の1835年(天保6年)、京都の地で大森屋治右衛門(初代瀧井治三郎)が優良な種苗を採種し、希望に応じて分譲を開始したことに始まる。古来、京都は都として、また神社仏閣の本山が多いことで栄え、たくさんの人や物が集まり大いに賑わった。京都に集まる物品は公家などへの献上品や地方への貴重な土産物として珍重された。その中の1つに京野菜があったが、現代のような保存技術や物流システムがない時代であり、腐敗や食味低下のため遠方への持ち帰りには不適であった。そこで人々は、美味しく優良な野菜の種苗を買い付け、それを国元へ持ち帰った。この種苗を分譲したのが京都における種苗業の始まりとされている。
 爾来、長い歴史と風土の中で品種改良を行い、新しい販路や販売手法を開拓し、種苗業界のリーディングカンパニーとしての地位を確立している。京都の伝統野菜が受け継がれてきたのも、タキイが京都の地で創業し現在に至っているのも、一朝一夕では成し得ない歴史と伝統に基づいた確固たる理由があるのだ。そこに「タネのタキイ」たる所以と矜持があり、今や世界トップ5に入る種苗メーカーとして飛躍を続けている。

 

「一粒万倍」

代表取締役社長 瀧井傳一氏

 企業が果たす使命の1つに「企業の存続」がある。企業理念の実現、顧客満足や社会貢献など企業の使命や目的は様々であるが、何よりも企業が存続しなければ全ての目的は絵空事に終わってしまう。タキイの175年という歴史はまさに大きな使命の実現であり、最大級の賞賛に値するものである。タキイの存続は、顧客や社会がタキイを必要としている証左であり、多くのステークホルダーから絶大な支持があったことに他ならない。しかし、これも強い信念と絶え間ない努力の賜物であろうことは容易に想像できる。タキイが歴史を重ね続けて来られたのは、常に研究開発を怠ることなく、顧客のニーズに的確に応えてきたからだ。
 タキイの企業理念は、「より良い種子を創造し、高品質種子の安定供給により社会に貢献する」というものである。高品質の種子を供給することが種苗メーカーの使命であり、永遠の課題であると捉えている。そのために、厳しい検査システムを実施し、合格した種子だけを販売している。
 「タキイには商売における信条として『一粒万倍』というものがある」と語るのは、代表取締役社長の瀧井傳一氏(以下「瀧井社長」)である。「良い種を売れば、口利きで人から人へと伝わり会社も発展する。しかし、一粒悪いものを売れば悪評となり会社がつぶれる」(瀧井社長)という。社訓的に伝えられてきた、この「一粒万倍」という言葉の意味は重い。種子は見た目ではどれも同じ顔をしている。また、種子の良し悪しが判明するのは収穫時である。良い種子は一粒から万倍の収穫が得られるが、悪い種子を蒔けばその損害は計り知れないのだ。万一、違った種子が混ざっていた、芽が出なかった、出来が悪かったとすれば、顧客の信頼を一気に失うかも知れない。一粒の夢と一粒の重み、それはまさに表裏一体である。だからこそ、タキイの企業理念や「一粒万倍」の精神が光り輝き、深く刻み込まれてきたのだ。

「F1の先駆者」

 タキイは創業以来、世界中から数十万種類もの種子を収集保存してきた。これら膨大な種子という遺伝資源、長年培った育種技術(交配技術)にバイオテクノロジー技術を加え、2,000品種(野菜類1,500種/草花500種)にも上る新品種を誕生させてきた。スーパーなどで日常的に販売される野菜であるが、タキイは農業生産者や消費者からの様々なニーズを真摯に受け止め、研究開発を行っている。その結果、「病気や害虫に強い」「収穫量が多い」「荷造りや輸送がしやすい」「味が良い(食味の向上)」「機能性成分が豊富に含まれている」といった新しい品種の開発に結びつけてきた。「食を守り、良いものを作ることがタキイの真髄」(瀧井社長)という心が研究開発にも力強く浸透しているのだ。

トマトのトップブランド「桃太郎」

 このようにタキイには優れた技術力があるが、その象徴的とも言える技術が「F1品種(一代交配種)」である。F1品種とは、2種類の原種を交配させて作り出した一代雑種の種子のことで、両親である2種類の原種の良い面を受け継ぐ性質を持っている。1950年、タキイはアブラナ科(キャベツやハクサイなど)のF1品種を世界で初めて開発し、世界的に衝撃を与えた。現在では、F1品種は世の中に多く流通し必要不可欠なものになっているが、その魁がタキイであり、タキイはまさに「F1の先駆者」なのである。 F1品種など、研究開発から生まれた新品種で有名なのがトマトの「桃太郎」である。数十種類以上のトマトの交配を繰り返し、10年以上の歳月をかけて1985年に誕生した。「甘くて美味しい桃太郎」は全国の消費者に支持され、トマトのトップブランドに成長した。国内シェア70%を誇るタキイの代表的品種だ。それ以外にもニンジン、ナス、カボチャ、ハクサイなどの野菜、ヒマワリ、ナデシコ、葉牡丹などの花の種子が60―70%という圧倒的なシェアを誇っている。また、世界11カ国に拠点を持ち、アジア、北・南米、ヨーロッパの4極体制の販売ネットワークを構築し、120カ国以上へ輸出している。

「無借金経営」と「企業は人」

 175年も永続的に発展してきたタキイであるが、それを支えたのは技術力や信念だけではない。その1つが「無借金経営」である。京都の老舗企業の多くがそうであるように、タキイもまた堅実経営を行ってきた。1920年(大正9年)の会社設立以来、好不況にかかわらず無借金経営を基本に着実に歩んできた。そのため金利コストが発生せず、結果として高い収益が確保され、新たな投資が可能になるという「経営の好循環」を生み出した。この新たな投資について瀧井社長は、「品質や信頼、信用を保持するため機械設備などへの投資を惜しみなく注いでいる」と語る。無借金経営は守りだけでなく、品質保持や企業発展のための攻めとして大いに貢献しているのだ。
 一方で、「最大の投資は人材への投資である。人材教育を基本とした研修や指導に注力している。企業は人である」という考えを瀧井社長は力説する。「タキイは良い品種、良い種を育てお客さまに届けること、それが大切であり気概である」とし、そのために人材育成が要諦であるというのだ。「基本は先輩から後輩に受け継がれる。技術や愛社精神も受け継ぐ。社員、特に幹部には『会社を愛すること』『業界のプロになること』『部下の教育指導を徹底すること』の3つを言い続けている」(瀧井社長)。お客様に信頼され愛されるためには、人材育成が何より重要という瀧井社長の思いが社員にも必ずや伝わっているに違いない。

 

「飽くなき品質へのこだわり」

フルカラーベルトソーター(CS600BIC)

 タキイは2006年、サタケの光選別機「フルカラーベルトソーター(CS300BIC)」を導入した。それまでの選別機では満足な選別能力が得られず、作業も手間取っていた。このCS300BICにより種子の選別精度が高まり、品質と効率の向上につながった。種子には発芽率の高さが求められるが、見た目の良さも大変重要なポイントとなる。キズ、色のくすみは商品価値の低下につながるからだ。2008年、タキイの技術者がサタケで光選別機の研修を受講し技能が向上したことも相まって、2009年9月、新たにCS600BICを導入した(CS300BICの2倍の処理能力)。この選別機導入により、品質と効率がさらに高まっている。
 品質向上は選別に限らない。新品種の開発も広い意味での品質向上である。現在、地球は温暖化傾向や水資源の悪化などにより作物の収量に影響を与えている。また、減農薬という条件下でも、耐病性のある品種は食の安全・安心につながる。こういった環境や制約条件をクリアする品種の開発も積極的に進めている。タキイのこだわりに終着点はないのだ。

「未来へ種をつなぐ」

 タキイは「種子」を通して、175年もの長い間連綿として社会に貢献してきた企業である。それはまさに栽培と同じく、手間をかけ汗を流してきた歴史でもある。創業以来、脈々と受け継がれてきたタキイのDNA。それを駅伝の襷のように次世代につなげること、これこそがタキイの伝統であり、人類の「食」に貢献する「種苗業」という夢のある仕事の魂になるのではないだろうか。この後世に伝えるという大事をタキイは実践している。
 1947年、タキイは「タキイ種苗研究農場付属園芸専門学校」を開校した。「農業の育成は人材からと考えている。祖父の時代に開校し、将来を見据えて農業後継者の育成を目指した」と井社長は語るが、開校から60年以上経った現在、その重要性が益々高まっているのではないだろうか。輸入食材への不安や食料自給率の低さ、そして農家の高齢化など、日本の農業に不安感が募る中、農業を支える若き人材を社会が求めていることは論を待たない。

 この学校の特筆すべき点は、18―24歳の農家を目指す男子に対して入学金、授業料不要で寮費、食費ともに学校負担である点だ。60余年の歴史でこれまでに3,000名を超える多くのスペシャリストを輩出した。その卒業生は、それぞれ産地やJAなど、農業の現場で中心的な役割を果たしているという。これこそ社会的貢献であり、未来へつなぐ素晴らしい活動である。 瀧井社長は社団法人日本種苗協会の会長も務めている。協会では日本農業の活性化や次代を担う子供たちへの食育に積極的に取組んでいる昨年から活動をスタートした「食育推進プロジェクト」は、全国約150校で実施され、児童10,000名以上という多数の参加があった。「食と種に対する興味を持ってもらいたい。そして農家の一生懸命さを子供たちに伝えたい」と瀧井社長は目を輝かせる。今、瀧井社長の思いは様々な形となって未来へ種をつないでいる・・・。

最後に、「タネのタキイ」は「ヒトのタキイ」である。

(本件へのお問い合わせ: TEL 082-420-8501 広報室)
※ニュースリリースの内容は発表時のものであり、最新の情報と異なる場合があります。あらかじめご了承ください。

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