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ネズミ退治にはイノシシが有効?

2020.01.27

 今年は子年(庚子)。子は「ねずみ」であり、ねずみ算という言葉があるように、子孫繁栄の象徴です。一方で、昔から米蔵のコメを食べては人間を困らせています。丹精込めて作ったコメを、いとも簡単に盗み食いされるのは癪に障ります。
 コメは苗作りから栽培、管理、収穫まで多くの時間と労力を伴います。それだけに、秋の新米収穫は農家にとって大いなる喜びです。その大切なコメをねずみに横取りされたのでは堪りません。運よく食べられなかったとしても、糞や尿をかけられたら台無しです。
 ところで、ご飯としておいしく食べるためには、収穫後の乾燥調製加工が必要です。昔なら稲を天日干し(はざ掛け)し、千歯扱き(せんばこき)で脱穀し、木摺臼(きずりうす)などで籾摺りし、最後に杵と臼で精米していました。これも今から考えると大変な作業です。特に精米作業は非効率的な重労働作業でした。その辛苦から農民を解放しようとしたのが佐竹利市、つまりサタケの創業者でした。利市は1896年(明治29年)に日本で初めての動力式精米機を考案し、精米を人力作業から機械作業へと劇的に変化させました。ここから日本の精米技術・精米工業が幕を開けることになります。
 それから44年後の1940年(昭和15年)、今から80年前になりますが、この年、利市の著書「穀類搗精機の研究」(糧友社刊)が出版されました。本書には、第一篇「搗精機発達の沿革」から始まり「搗精機研究考案の動機」「搗精機研究考案の経過」「胚芽米の理論」と続きます。そして第五編には長男佐竹利彦による「穀類精白作用要論」が登場します。この第五編の内容こそが、農業機械学会初の体系的精穀理論となったのでした。
 本書はこれで終わりではありません。巻末に利市による「私の健康法」と「私の処世観」が記されています。「私の健康法」は、幼少期から虚弱だった利市が30歳を過ぎ、難行である搗精機の研究に没頭するためには、まずは健康でなくてはならないと考え、独自の健康法を自ら実験し編み出したのです。「私の処世観」の序文には「何人も希望なきものはない。私が最も希望するところは、健康、円満、報恩、奉公である。この中心が至誠である。この至誠を忘れてはならぬ」と書かれています。

 何にでも全身全霊で取り組んだ利市の人柄がにじみ出ています。ところで、利市はねずみにはどう対処していたのでしょうか?その記録はありません。ただ、利市は亥年生まれなので、猪突でねずみを寄せ付けなかったのかも知れません(笑)。

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佐竹利市

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