Y.A.(2006年入社)
入社後は主に日本国内と東南アジアのプラント設計を担当。その後、本人の希望もあり海外駐在員としてアメリカのSATAKE USA INC.で9年間勤務。2023年に日本に帰国後、海外駐在の経験を活かして事業部全体の業務改善、プラント物件のプロジェクト管理全般、法令順守の管理など幅広く活躍。
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Prologue
ひとり旅から海外に憧れを抱き、
研鑽を重ねて「海外駐在員」としてアメリカへ。
大学時代は機械工学を学びながら、バックパッカーとして東南アジアを旅したことが転機に。パワフルでエネルギッシュな街や人々に感化され、いつしか「世界で活躍するビジネスマンになりたい」と思うようになったY.A.さん。就職活動では、海外での実績が豊富で、精米のトップブランドであるサタケに魅力と可能性を感じ、入社。3年目に海外設計課へ異動し、海外プラントのノウハウを学びました。アジアへの出張を繰り返すうちに、海外駐在への思いが募り、夢をかなえてアメリカでの駐在生活を約9年間経験。この期間に直面した言葉の壁や文化の違い、失敗や苦労…。それらをどう乗り越え、現在どう活かしているのかを聞きました。
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旅先で出会った
「知らない世界」に魅了されて
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Y.A.さん×東南アジア
での経験Mixed POINT 01
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姉に感化されてバックパッカーに
高校卒業後は、京都の大学へ進学し、機械工学科で学んでいました。大学2年のとき、一念発起して東南アジアを旅行。いま思えば、これが大きな転機となったのかなと思います。
旅のきっかけは姉でした。当時インドを旅して帰ってきた姉から海外の魅力を力説され、「絶対に世界を見るべきだ」と、感化されました。その後すぐにアルバイトでお金を貯め、リュックに航空券とパスポートだけを入れて、タイ、カンボジア、ミャンマーを周遊するバックパッカーのひとり旅に出ました。最初は不安があったものの、強烈なインパクトと、ものすごいパワー、エネルギーを感じる毎日。現地で友達もできました。日が経つにつれ「こんな世界があるのか」と知らない世界にワクワク。まさに「視野が広がった」旅となりました。そして、漠然とですが「日本だけでなく、海外を舞台に仕事ができるビジネスマンになりたい」と思うようになったのです。
社会的意義のある仕事を目指して
将来は、「社会的な意義のある仕事」がしたいと思い、就職活動をスタート。世界に進出している企業であれば、「海外で仕事がしたい」という夢が叶えられるかもしれないと感じたからです。 理系に学んだ自分の能力が発揮できる業界であること、そして生まれ育った広島に拠点のある会社に絞り、サタケの他に自動車産業、重工業系、メーカー、ゼネコンなど、いずれも自社で設計・製造・販売までトータルで手掛ける企業に魅力を感じました。
いくつか内定をいただきましたが、サタケへ入社を決めたのは、世界中にすでに拠点があり、精米に関するトップ企業でありブランド力があることが主な理由です。そして、知人からの「サタケはいい会社だよ」という言葉が、最後に後押ししてくれたように思います。 -
Y.A.さん×海外駐在
Mixed POINT 02
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日本やアジアで経験を重ね、
巡ってきた海外赴任のチャンス新入社員をしっかり育てる体制
入社後は、国内の米関係のプラントを設計する部署に配属。ほぼ初めてCAD※に触れましたが、先輩が手取り足取り教えてくださったので、苦労はありませんでした。PC上だけでなく、ベテラン社員と一緒に現場へ行き、現地での打ち合わせの仕方や採寸・計測なども実際に見て学びました。
こういう業務は理系出身の男性ばかりが従事していると思われがちですが、実は文系出身や女性の従業員も多く活躍しています。サタケには、経験豊富な先輩がいるほか、標準化された資料が充実していますので、安心して力を発揮できます。※Computer Aided Design(コンピュータ支援設計)の略で、コンピュータ上で設計や製図を行うツール。
海外設計課へのあこがれ
入社後も海外へのあこがれを持ち続けていた私は、隣の部署だった海外設計課の人に「海外出張はどうでしたか?」と積極的に話しかけ、日本のプラントと比べて10〜20倍の規模になる海外プラント設計の話を聞かせてもらっていました。農業のスケールが違いますから生産量やプラントの規模が違う、そんな話にワクワクする日々。もちろん口に出して「いいですね!」「関わりたいです」とアピールするのも忘れませんでした。
そして、3年目に念願の海外設計課への異動が叶いました。そのときはとてもうれしかったと同時に「頑張らないといけない」と気持ちを新たにしました。アジアを中心とするプラント設計と語学
異動先の海外設計課では、主に中国とインドネシアのプラント設計に従事。毎月のように海外へ出張し、現地のお客様と打ち合わせをし、ニーズに沿った設計をする。
現地でのやり取りは、当然、中国語や英語になりますが中国では通訳をつけてもらいました。英語は聞き取ることはできても、自分で話すことは苦手でした。打ち合わせでも、雑談などから情報を拾うのが難しく、もどかしさが募りました。この頃から、「海外駐在すれば、語学がもっと上達するはず」「もっと意思の疎通ができるようになれば、よい設計へつながる」と思うようになりました。スピード感のある営業&提案
次に「AB(アジアビジネス)事業部」へ異動となり、海外事業に関わる営業、事務、ロジスティック担当の集団に、今まで別だった設計担当が入って一つになった部署でした。これまでより営業との距離が近いのでコミュニケーションが取りやすくなり、仕事のスピード感が上がっていきました。この頃はミャンマーやインドネシアを担当する営業に帯同し、現場での交渉などを間近に見ることで営業感覚、語学力とも鍛えられました。中でも思い出深いのはミャンマー。今も道がなく、川が道路替わりで、ボートで現地へ向かうと、そこには30年前にサタケが寄贈したプラントがありました。かつての諸先輩方が手掛け、老朽化したプラントに私が手を入れ、再び稼働する…。サタケの長い歴史を感じた瞬間でしたね。
学生時代からの夢が叶い、海外駐在へ
その後、念願の海外勤務、SATAKE USA駐在の話が持ち上がりました。
約1年後の渡米を前に現地へ出張して、住むことになるテキサス州ヒューストンの住環境や雰囲気を把握させてもらいました。
当時、責任ある仕事と子育てに奮闘していた妻は、私の夢を理解し、一緒に行ってくれると言ってくれました。子どもたちは4歳と2歳で、海外生活をするには、ちょうどいい年齢だったのもよかったです。
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会社の手厚いサポートで不安なく渡米
課題のコミュニケーションに向き合う
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言葉の壁を乗り越え、文化の違いを楽しむ
アメリカでの新生活
まずは単身で渡米し、家の契約など難解な交渉は、現地の日本人社員が手伝ってくれました。引っ越し費用、家賃は会社負担で、支度金も支給。赴任後は赴任手当が付き、車が1台支給され、駐在生活がスタート。
家族は、ある程度生活が落ち着いた半年後にアメリカへやってきました。子どもたちはすぐに保育園へ。英語を母国語としないクラスで、ABCからスタートしましたが、あっという間に馴染んで、私より上手に英語を話すようになりました(笑)
米以外のプラント設計と、言葉の壁
仕事のメインはプラント設計ですが、人数が少ないので資材の調達、現場での据付アドバイザー、施設の立ち上げなど、日本よりも関わる業務が多くなりました。また、今までは9割以上が米に関するプラント設計だったのに、コーンや小麦にも関わるようになったことが、一番の違いでした。米とその他の穀物では、加工方法、機械の選定、プロセスフロー、全てが変わってきます。最初は、その違いに戸惑いました。
さらに、「言葉の壁」もありました。半年くらいは会議に出ても、言っていることが分からない。録音して聞き直したり、書き留めたり、他の日本人社員に聞いたりして、何とか理解する日々が続きました。
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「毎日1チャレンジ」の目標
このままではいけないと思った私は「1日1つ、何かにチャレンジする」という目標を立てました。例えばテーマを「電話」とし、「電話口でこんなことを聞いてみよう」「こんな質問をしてみよう」など、決めてトライするのです。小さな目標達成は、自分の糧となり自信にもなったと思っています。
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「プロ」であることが存在の証
一方で、文化の違いは強烈に感じました。「結果主義」で、「成果を上げればそれでいい」という雰囲気。日本のように組織で、チーム全体で、という考え方はあまり無いように感じました。
ここでは「プロ」であることが存在の証。日本からプラント設計に特化した3次元CADを送ってもらい、とにかくスピード、図面のクオリティ、間違いのない仕事で、自分をアピールしました。
自分や家族の時間を大切にする文化
「人の時間を大切にする」というところも日本と違っていて、「社員に無駄な仕事はさせない」ことが徹底されています。会議も必要最低限です。定時になるとさっさと帰って、家族との時間を過ごすのが当たり前。バケーション休暇は2週間などの長期間で取得することが多々あります。「仕事は誰がするの?」と思いますが、お互いがフォローし合う雰囲気です。アメリカのように好きなときに休暇を取得する「バケーション文化」は日本でも若い世代に受け入れられそうですし、取り入れたらいいなと思っています。
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Y.A.さん×想定外のトラブル
Mixed POINT 03
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仕事上の失敗、
そして新型コロナの感染拡大仕事上の失敗もその後の糧に
アメリカの安全規格について勉強不足だったことで、設計ミスにつながったことがありました。それにより設計・施工が終了したのちにミスに気付き、移設などの追加の工事費が発生する事態に。多くの方にご迷惑をおかけしましたが、反省と新たな学びの経験となりました。
自然災害や新型コロナのロックダウンを乗り越えて
ある年に大型のハリケーンがヒューストンを襲い、数週間に及ぶ移動制限が起こりました。幸い、我が家の周辺に大きな被害はありませんでしたが、テキサス州全土に甚大な被害をもたらしました。異国の地での自然災害という予測できない経験は、自然の威力を感じるとともに、対応力も心構えもできたように思います。
また、2020年には新型コロナ感染症拡大によるロックダウンも経験しました。多くの企業が事業活動の停止を強いられる中、SATAKE USAは必要不可欠な企業、いわゆる「エッセンシャルカンパニー」※として操業を続けることが認められていました。改めて食のライフラインの一端を担っているという社会的使命と存在意義を実感する機会となりました。※社会基盤を支えるために必要不可欠な企業
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多角的な視点でビジネスを俯瞰
現地で紡いだ交流に感謝の9年間
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Y.A.さん×新たな視点
Mixed POINT 04
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海外駐在で新たに得たもの
語学力と経営的知識
渡米当初に感じた言葉の壁を乗り越え、日常的な英会話は問題なし。いつでも声がかかれば、躊躇なく「海外出張に行きます」と言えるようになったのは、大きな成長です。
また、SATAKE USAの従業員は全部で約120人と小規模。それゆえに学べたこと、トライできたことも多かったと思います。特に経営層との距離が近く、会社の経営状況や、決算など数字の見方を教えてもらえたのは、貴重な経験でした。仕事の流れ、数字の動きなど、経営者の視点を知ることができ、広く浅くではありますが、経営的側面の知識を得られたのは、私の財産です。日本でもその知識を活かし、違った角度からも貢献できたらいいなと思います。幅広い知見と高い向上心
プラント設計においては、コメ以外にコーンや小麦の大型プラントの設計も担当したことで、日本では得られない知見を深めることができ、自信にもつながりました。また世界の農業先進国であるアメリカで最先端の機械や技術に触れることで、より高い向上心を抱くようにもなりました。
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Y.A.さん×家族
Mixed POINT 05
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現地社員との
家族ぐるみの交流に感謝地元で紡いだ絆
約9年におよぶ駐在生活では、SATAKE USA の社長を始め、同じ駐在員の先輩、現地採用の日本人従業員など、それぞれが不慣れな私に手を差し伸べてくれました。仕事以外でも、交通事故や家族の病気など、突発的かつ言葉が通じないと困る事態に、幾度も助けてもらい感謝しています。
ヒューストン在住の人たちはとてもパーティー好き。クリスマス前は本気で家を飾り付け、「見てくれ」といわんばかりにホームパーティーに招待してくれました。家族で伺うと、プレゼントを用意して歓迎してくれたのもよい思い出です。
日本人コミュニティとの関わりが多かったのも、ありがたいことでした。「ヒューストン日本商工会」では、毎週土曜日に日本語で学べる補習校を運営していただき、「日本人会」では、例えば正月の行事なども教えてくれました。子どもたちは日本に帰国したときに何も困らなかったようです。ヒューストンで出産や子育てを経験した妻は「アメリカは公園も、家も、道路も、スーパーも、何もかも広い。恵まれた環境の中で、心穏やかに子育てができた」と言っていました。
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米国式のマネジメントを取り入れ
仕事で最高のパフォーマンスを
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Y.A.さん×文化の融合
Mixed POINT 06
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互いを尊重しつつ、
良いところはいざ実践企画管理室で新たな業務に従事
2023年に帰国し現在は、エンジニアリング本部 企画管理室で、14名の課員とともに事業部全体の業務改善に関わっています。設計から離れ、総合的な予算の管理、建設業法・下請法などの法令順守の管理、技師の派遣、資格のメンテナンスなど、さまざまな案件に対応し、他部署の窓口として奔走。アメリカではゆっくりと時間が流れていたぶん、帰国後は目が回る忙しさで、全力で走り抜ける毎日です。
日米の良いところに気付く
「プラント設計」における仕事内容は、日本とアメリカでそう変わりはありません。スケールが大きいこと、徹底的な効率化がなされ「いかに安く、高品質なものを製造するか」という点ではシビアですが、細やかさや緻密さは日本人のほうが得意。日本人の個々のスキルも、決して劣っていないと思います。
帰国後の業務においては「アメリカ式マネジメント」を取り入れ、課員にはあまり細かく口出しせず、信頼して任せるようにしています。また、「私生活を犠牲にしない」「定時で退社する」ことを積極的に働きかけるようにしています。日本でも自分や家族との時間を大切にして、良いパフォーマンスにつなげてほしいからです。
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プロジェクト成功の鍵は積極的な提案。
自信を持ってトライしてほしい
プロジェクト成功を自信に
SATAKE USAでいくつかのプロジェクトを成功させたことは、大きな自信となっています。1つは、コーン関係のビジネスの受注と加速。営業と一緒に穀物大手企業へアプローチし、サタケの機械の導入にこぎつけました。2つ目は、北米エリアの日系企業の開拓。酒造、炊飯、製菓などの食品生産企業などから、新規受注を獲得しました。3つ目は、中米エリアの開拓。全10か国を巡り、「現地調査、翌日提案」スタイルで新規受注を拡大しました。
これらの成功の理由はやはり、「お客様の立場で図面を引く」「現場を見て、困りごとやニーズを汲み取った提案をする」に尽きるのではないかと思います。そのためには語学力も大事ですが、現地で顔を合わせて言葉を交わすといった基本的なコミュニケーションが大切だと感じました。
さらなる海外進出の懸け橋に!
サタケでは今後、海外展開をより一層強化していく方針のもと、海外で活躍できる人材が求められています。その中で私は9年間の海外駐在の経験を活かし、日本と海外拠点との懸け橋になれたらと考えています。
私が日本で培ったプラント設計のスキルは、アメリカでも十分通用するものでした。設計に限らず、営業力、企画力、生産、技術など、何か秀でた「一芸」があれば、語学力に少し不安があっても何とかなるものです。サタケには挑戦する人を迎える受け皿があり、勝負のフィールドは整っています。チャンスがあれば、ぜひ海外で実力を発揮してみてください。